2021-02-01

宮原博昭・学研ホールディングス社長が語る「母の教え」

宮原博昭・学研ホールディングス社長

みやはら・ひろあき
1959年広島県生まれ。82年防衛大学校卒業後、西本貿易を経て、86年学習研究社(現学研ホールディングス)入社。2003年学研教室事業部長、07年執行役員、09年取締役。学研塾ホールディングス、学研エデュケーショナル、学研教育出版(現学研プラス)各社長を歴任。10年より現職。

対照的な家庭で育った父と母

 母親の存在は絶対的なもの──。母・重子(しげこ)の姿を思い出すと、このように感じます。

 母は2人の子供である兄とわたしに愛情をたっぷり注いでくれましたが、それは決して子供のために何でもするという溺愛ではありません。愛情は目に見えるものではなく、感じ取るものだと。ですから、厳しさの中から母の愛情を感じ取って育てられたように思います。

 父・昭允(てるまさ)と母は共に広島県呉市の出身。ただ、実家は対照的で、父は過去に貴族院議員を輩出し、代々、医師を務めてきた名家の生まれで、家にはお手伝いさんが何人もいた裕福な家庭だったようです。実際に父も慈恵医科大学医学部に進んで医師になりました。

 一方、母の家庭は苦しかったようです。特に母に大きな影響をもたらしたのが両親の死。母が小学生だったときに子どもを出産した母親が亡くなり、そのとき産んだ子の命もつなぎ留められませんでした。さらにその4カ月後、母親を追うように父親も他界してしまったのです。

 結果として、1年の間に3人の命を母は失いました。代わりに父方の祖母が母を育ててくれたのですが、幼少期から母は自立した生活を送らざるを得ませんでした。しかも、母が女学校に通っていたときは戦時中。呉海軍工廠で働いていたときに、広島に投下された原子力爆弾のキノコ雲を見たのです。父も医学生として人命救助に当たっていたと言います。人の命の尊さを肌で感じていたのでしょう。

 そんな人の死を間近で見て来た母は正義感のとても強い女性でした。特に曲がったことが大嫌いで、弱いものいじめなど、もってのほか。むしろ、助けを求めている人を助けなかったりすれば、とても怒る人でした。

【以下、本誌にて】

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