2020-12-17

山本 竜馬・オヨ ジャパン合同会社社長「人生の転機」

テクノロジーの導入で変革可能な領域で貢献したい─。インド発祥の当社は不動産という長きにわたってテクノロジーが導入されずに固定化されていた業界を、テクノロジーを取り入れることで変えることを1つの使命にしています。

 このオヨの思想は、もともと私の抱いていた思いとも合致していました。そして、私がある種、未開の領域に踏み込むことの意義を心から感じた原体験が、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社した数年後の2006年頃に赴任したニューヨークでの経験でした。

 そこで最初に私が担当した仕事はダンスの劇団を運営するNPO法人の収益改善プロジェクト。しかし、英語もそれほど話せるわけでもなく、経験も少ない。そんな私が突如、米国のコンサルティング企業の本丸とも言えるニューヨークにアナリストとして、1人ポツンと放り出された形ですから、周りと比較しても自分の力不足は否めません。

 自分の強みである分析力を使うしかない。NPO法人である劇団にとって「徹底的な分析」は未開の地に違いない。そう考えた私は、いかに観客を増やすか、いかにチケットの価格を上げられるかを調べるため、その劇団と業界を徹底的に分析しました。劇団の演目をはじめ、平日休日、時間帯、そして季節によって客入りがどのように変わっているのか。それを詳細に調査・分析し、自分なりの提言をまとめ上げ、高い評価を得ることができました。

 たとえ経験が少なくても自分の強みで戦えば、世界トップレベルの人たちともやりあっていける。そんなことを肌で実感できた経験でした。

 そして米国という地で、もう1つ学んだことは、自分をアピールすれば、相手の認識を180度変えることも可能であるという経験です。日本人が苦手な分野ですが、アピールや交渉を通じて訴え続けることによって、相手の心は大きく動く。これは、後に転職したアップル・ジャパンで厳しい要望をパートナー企業に受け入れてもらう交渉術にもつながっていきました。

 苦手分野ではあっさり負けを認め、得意分野で勝負をし、一点突破を図る。若かりし頃のニューヨークでの実体験がビジネスで生き残るためのノウハウを私に教えてくれたような気がします。


マッキンゼー・アンド・カンパニーでニューヨーク勤務をしていた頃の山本社長(左から3人目)

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