2021-01-16

追悼・渡文明さん(新日本石油・元社長)

渡文明・新日本石油元社長

一本芯(しん)が通り、頑固。そして愛嬌のある笑顔――。

 新日本石油(現ENEOSホールディングス)の元社長で、成城学園理事長をつとめた渡文明さんの人となりである。

 渡さんが2020年12月末、急性心筋梗塞で亡くなった。その1週間前にお電話を頂き、コロナ禍の現状に「大変だけれど何とか知恵を出して生き抜かねばね」という趣旨の話で、話題は政治や産業界全般に及んだ。

 何事にも筋を通す生き方。これはおかしいと思えば、相手がどんな人であろうと、自分の思うことをズバリ直言するタイプ。厳しいことを言っていても、その後、愛嬌のある笑顔が返ってくるので、ついこちらも気を許してしまうという人柄だった。

 1936年東京都生まれ。60年慶應義塾大学経済学部卒業後、当時の日本石油に入社。2000年社長、05年会長に就任し、10年に相談役に退くまで、資源・エネルギー業界の産業再編に奔走。日石は三菱石油、新日鉱ホールディングス(旧日本鉱業)東燃ゼネラル石油などと統合し、社名も日石三菱、新日石、JX、JXTG、そしてENEOSへと次々変わった。

 無資源国で世界第3位の経済大国でもある日本のエネルギー確保と安定供給に使命感を燃やし、誰より早く再編に動いた行動力の持ち主だった。

 相手を説得する対話の名人の原点は幼少期にあったと思う。先の大戦中、小学生の時、島根県邑南町(現・阿須那村)に疎開、「山野で遊び、川で鮒を釣り、自然を相手に楽しかった」と述懐。普段なら都会っ子で、いじめの対象になる所だが、持ち前の明るさで疎開地でもリーダー的存在。この頃、文化や言葉の違う世界に飛び込み、対話能力に磨きをかけていったのだろう。

 2014年からは中学・高校時代の母校、成城学園理事長を務め、「自ら変化を起こす“変える力”を持った人材を育てたい」と語る笑顔が印象的だった。

 変化対応力、実行力を持った財界人がまた一人去った。  合掌

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