「未来への投資」の必要性
─ 日本の教育は江戸期や明治まではしっかりしていたと言われますが。
坂本 その通りです。戦前の昭和期も、旧制高校など公教育を通じて、国家有為の人材を育てました。日本は階級社会ではありませんから、貧しくとも一生懸命学び、かつ働けば、人生の展望が開けてくる素晴らしい環境です。その意味で「公教育」の強化が喫緊の課題だと。
これは日本だけでなく、アメリカにも言えることのようです。『アメリカはかつて超大国であった』という本によれば、「新自由主義」の台頭によって国家の役割を後退させ、資本の論理が支配しましたが、それが研究開発や教育など「未来への投資」をおろそかにしてしまったと述べています。
─ アメリカですら、「人」を育てる力が弱くなったと。
坂本 そうです。1990年代初めまで、国の競争力の強化のためにアメリカの官民のパートナーシップがしっかり機能していました。ところが、アメリカ1強時代になって「国家」の概念が後退した。
冷戦終結まではソ連という競争相手があり、アメリカには節度があり、将来に向けた投資も行っていた。ところが冷戦後、資本の論理で製造業の価値を軽視し、製造業を中国などの低賃金国にアウトソーシングしてしまった。
─ アメリカでの新自由主義の端緒は、レーガン大統領の登場だったと言われます。
坂本 人間社会には常に「正と反」、「動と反動」のようなものが働いています。第2次大戦の遠因となった世界恐慌と大量失業を克服するため、ケインズが「完全雇用」を基調とする政策を主導しましたが、これがいつの間にか労働組合の力を強大にしてしまった。
そこでレーガン大統領やサッチャー首相が、労働組合の力を減殺し、資本の論理に立った「新自由主義」と言われる政策にカジを切りました。「資本の逆襲」とも言われます。
しかし反面、「国家観の欠如」が顕著で「規制緩和、民営化、小さな政府」を標榜して「市場」が万能のように位置づけました。
その結果、社会に格差が生じ、市場は規律を欠いて独占の弊害が生まれ、果ては「金権政治」につながった。その様子はスティグリッツの『プログレッシブ・キャピタリズム』に如実に描かれています。
公教育の充実・強化やイノベーションの基となる基礎研究を充実することなど、国が役割を果たすべきだと、スティグリッツは提言しています。
─ これは日本にも同じことが言えますね。
坂本 そうです。新自由主義が日本にもたらした数ある弊害の中で最大のものが、労働市場に「正規」、「非正規」をつくったことだと思います。社会に「階級」のようなものをつくりました。
日本の戦後復興を果たした原動力は現場の労働力です。将来の雇用に保証があったからこそ、現場の人達が会社に貢献しようとし、創意工夫で改良を積み重ねました。これが日本産業の強みでした。「労使の協調」、「官民の協調」など「新自由主義」が破壊した、この伝統的な価値観を産業世界に取り戻すことが望まれます。「新しい資本主義」を唱えるなら、そこに鋭く切り込んで欲しいですね。