─ 社長に就任した2016年以降、欧州や豪州で総額2兆円超を投じてビール会社の買収を進めてきました。世界第3位のールメーカーになったわけですが、今後の方向性とは。
小路 私は規模で2位や1位を狙うというグローバル・ビール・ビジネスを狙っているわけではありません。グローバル化を進める際、多角化かビールのグローバル化かという選択肢がある中、私は後者を選びました。
そもそも当社はグローバルとローカルを両立させた「グローカルな価値創造企業を目指す」というビジョンを謳っています。実際に「スーパードライ」や伊「ペローニ」、チェコ「ピルスナーウルケル」というメガブランドを世界で売り始めています。ですから、グローバルではこのグローバル・ブランドによって世界の一定の都市でトップブランドを目指していこうと。
それからローカルの事業については、欧州でも豪州でも日本でも東南アジアでもビール以外のカテゴリーの拡大によって事業の拡大を図っていく。例えば、日本のように「総合酒類メーカー」的な方向をローカルでは目指していくということです。
これまで欧州ではビール事業1本でしたが、足元ではノンアルコールビールが非常に拡大しており、今後大きな柱になっていくでしょう。それから欧州では「サイダー」と呼ばれていますが、日本のRTD(缶チューハイ)の事業もカテゴリーとして作り始めています。
─ 海外での成長は単にビール事業1本ではないと。
小路 ええ。一方のグローバル事業については、先ほどの3つのグローバル・ブランドを欧州の8カ国以外、例えばスペインやフランスといった国々で「スーパープレミアム」としてのトップポジションを獲得していこうと考えています。
そして欧州の次は中国です。上海や北京、杭州、広州、深圳といった沿岸部の都市でもスーパープレミアム」としてのトップブランドに持っていくと。それから北米です。日本・豪州・欧州8カ国という母国以外のエリアの都市でトップブランドにしていこうということです。
その結果、売り上げと利益がどうなるか。それは結果の問題。2位のハイネケンにどれだけ近づけるかというのは、結果の問題になりますから、その前にいま申し上げた戦略を推進していくということになります。
─ ローカルはカテゴリーの拡大が量の拡大にもつながりますし、グローバルではビールの質の拡大につながると。
小路 そうですね。当然、各都市でトップブランドになればボリュームが増えますし、3ブランドともプレミアムビールですから量より金額が上がります。その金額が拡大していけば、結果としてハイネケンに肩を並べるところにいけると。
─ 実現はいつ頃ですか。
小路 まだ売り上げ規模でいけば当社が2兆円でハイネケンは6兆円です。3倍くらいの差があります。それでもあえて私は高い目標を掲げます。10年後。10年後の実現を目指していきたいと考えています。
─ 一方で国内では家庭用も業務用も伸びませんでした。
小路 ええ。ただこれからはリモートワークがある程度定着していきます。それに伴い家庭消費が大きくなります。その中で今までのように家で缶ビールを飲むということだけでは、提案力が不足していると思っています。そのため、今後は家庭での飲み方提案をもっと積極的に打ち出していかねばなりません。
その1つの例が21年1月6日に発表した「スーパードライ〈生ジョッキ缶〉」になります。この商品は家庭の冷蔵庫に冷やしておけば、飲食店などで飲むジョッキのビールと同じような味わいを楽しむことができます。常にクリーミーな泡と共に飲み続けることができるのです。
缶に工夫が施されており、タブを引き上げるとフタが全開するようになっているんです。飲み口も唇を切らないようなダブルセフティー構造をしています。また、缶の内側を特殊なコーティングで凸凹にしており、常にクリーミーな泡ができるようになっています。飲むよりも楽しんでもらうことが大きいです。
─ ワクワク感ですね。
小路 はい。飲食店でジョッキ生を飲むのと同じ感覚を家庭でも味わえるということです。この商品は家庭の主婦にとっても好評になると思います。というのも、缶のまま冷やしておくことができるので、グラスを冷やす手間が省けるからです。そして話題性もあると思います。
大きなイノベーションではないですが、いかにして「スーパードライ」というメガブランドをイノベーティブな商品に磨き上げていくかが重要になります。これは非常に苦しいことです。しかし、これを我々はやっていかなければなりません。
ですから我々はクラフトビールはやりません。クラフトは各エリアの方々が個性的なビールを造るものです。一方で我々に求められているのはメガブランドを常に魅力ある商品、期待される商品にしていくことです。
スーパードライというメガブランドを常に進化させていくことこそが、我々の使命なのです。
こうじ・あきよし
1951年長野県生まれ。75年青山学院大学法学部卒業後、アサヒビール入社。2000年人事戦略部長、01年執行役員経営戦略・人事戦略・事業計画推進担当、07年常務取締役、11年アサヒグループホールディングス取締役兼アサヒビール社長、16年アサヒグループホールディングス社長兼COO、18年から現職。