日韓で事業を展開するロッテグループ。カリスマ経営者が率いてきた企業を新たな成長軌道に乗せることが自らの使命だと玉塚氏は語る。「ロッテのブランドに対する信頼感は日韓共通の強み」と話し、韓国の持っている事業シーズ(種)と日本の技術を掛け算してグループの事業領域を国内外に広げていく考えだ。原材料やエネルギーの高騰下、玉塚氏が見据える次のロッテグループの姿とは?
味の素社長・藤江太郎の「根っこは共通のアミノサイエンス」論創業者・重光武雄氏の存在 ─ 玉塚さんがロッテホールディングス社長に就任して3年目を迎えました。ロッテグループという会社をどのように分析していますか。
玉塚 ロッテグループの創業者である重光武雄さんがいろいろなご苦労をされて1948年に国産のチューインガムを生み出しました。当時、チューインガムのメーカーは何百社もあったようですが、そのほとんどが姿を消しました。昨今でも明治さんが撤退を表明しています。
そのため、ここまで生き延びているのはロッテグループなど、ほんの数社になります。利益率が高いチューインガムで成功し、その後の64年にチョコレートに進出。お菓子の領域を広げていきました。
一方で70年代になってから韓国にも進出しました。重光さんは蔚山(ウルサン)の生まれでしたので、いろいろな所から頼まれたようです。ただ重光さんは当初慎重で、それほど積極的ではなかったと聞いています。
それでも断れない方々から頼まれて韓国進出を決断し、これからはホテルや化学産業が必要になると考え、お菓子とは違う領域にも出資していきました。長い年月が経ち、ロッテグループの売上高は日本が約3000億円に対し韓国は約8兆円という企業グループになりました。 ─ 創業者がぐいぐい引っ張ってきたということですね。
玉塚 ええ。実はロッテグループにおける日本と韓国の売り上げ規模は1990年までは3000億円くらいで、ほぼ同じでした。ところが日本は90年からほとんど成長していない。社員は現場で努力をしてきたのですが、日本は成長していないと。
一方で韓国はダイナミックに8兆円まで成長している。まさにこれは日本経済の「失われた30年」とリンクします。ロッテも一緒です。ですから、ここをもう一度成長させるようにモメンタムを変えないといけません。
─ どういった領域でそれを実行していきますか。
玉塚 当然、お菓子というドメインでも成長できますし、今までよりも少し領域を広げて大胆なチャレンジもできるでしょう。特に韓国と比較すると、そういったことを日本ではあまりやってこなかったのです。ですから日本がきちんと再成長できる基盤をつくることが必要です。
そもそも日韓には壁がありました。社員同士のコミュニケーションはほとんどありませんでした。しかし、株式保有のオーナーシップであり、そもそも会社が誕生したDNAから考えても、本来であれば一緒のグループであるにもかかわらずです。
ロッテという企業グループを俯瞰してみると、我々は日韓をまたいでアジア、アメリカ、ヨーロッパに広がるグローバルカンパニーなのです。しかしこれまでは日韓それぞれが個別に経営をしてきた。今は違います。重光昭夫会長が韓国の会長になり、日本の会長になり、グループ全体の会長です。すごくシンプルなガバナンス体制になっています。