2022-10-25

【母の教え】サイオス社長・喜多伸夫氏「専業主婦で手芸店などを興した母。起業したわたしにも母の血が流れていると感じて」

喜多伸夫・サイオス社長

今でこそ米グーグルの基本OS(ソフトウエア)である「アンドロイド」が当たり前になっているが、その源流にあるのがオープンソフトウエアの「LINUX(リナックス)」。1990年代の米国でこの可能性にいち早く気付き、日本で広めたのがサイオス社長の喜多伸夫氏だ。オープンソースやクラウド製品の開発を主軸にAIを活用したライフサイエンスにも取り組む同社を起業した喜多氏。創業25年、振り返ると、知らぬ間に母と同じような軌跡を辿っていたという。

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左利きを矯正する母


「何やってんねん! 右手で食べんかい」─。母・京子からは、こう言われて怒られていたことが思い出されます。母はあまり優しい人という感じではありません。せっかちな女性なので、こちらがグズグズしていると、「何をしてんねん!」と叱る。厳しい母親だったと思います。

 母は昭和5年(1930年)生まれの典型的な昭和の女性です。10代という多感な母の青春時代は太平洋戦争の真っ只中でもありました。母の生まれ故郷は和歌山県でしたが、終戦は満州で迎えたと聞いています。母の父親が満州で一旗あげようと一念発起して満州に渡ったのですが、結果としてそこまで裕福な家庭ではなかったようです。

 一方で父の権治は起業家で、大阪府の大阪市で企業調査会社の経営を切り盛りしていました。今で言うところの帝国データバンクや東京商工リサーチのような会社です。もちろん、同社ほどの大企業ではなく、ある特定の企業の財務や経営戦略を調査していました。そんな父と母が結婚して、わたしと弟が生まれました。

 父は母より10歳ほど年上の古い人間でしたから仕事一辺倒で、あまり家庭を顧みる人ではありませんでした。ただ、わたしの幼少期は映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の時代。白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫を表す「3種の神器」は他の家庭と比べても、早くから家にあったことを覚えています。1964年の東京オリンピックの様子がテレビ画面に流れており、その横で幼少のわたしが写っていた写真を見た記憶があります。

 さて、冒頭の台詞が何を意味しているかと言うと、それはわたしに対する躾です。左利きだったわたしを母は右利きに矯正していたのです。中でも常日頃、母から右手を使うように口酸っぱく注意されていたのが箸と鉛筆。食事中や字を書くときになると、わたしに対する母の目が鋭かったことをよく覚えています。時には手を挙げることもありましたから厳しかったです。

 食事のメニューが洋食になると使うのはナイフとフォーク。通常は右手にナイフ、左手にフォークですが、これを逆に持ってお肉やライスを食べようとすると、母からは間髪入れずに「逆や!」の声。わたしと違って右利きの弟は母から叱られることはなく平然としていたものです。

 今ではこのような躾は考えられないかもしれませんが、昭和初期生まれの母には、左手で箸を持つ姿がどこか行儀悪く見えたのかもしれません。お陰で今では食事をするときも、箸は右利きですし、字を書くときも右。一方で、母に躾けられたのは箸と鉛筆だけでしたので、野球やテニス、ゴルフといったスポーツは全て左利きのままです。取引先の方とゴルフに行くと、プレー中は左利きなのに、昼食になると右利きになる。「あれ、喜多さん、左利きじゃないんですか?」と度々驚かれます。

 行儀や作法には厳しかった母ですが、勉学についてはそれほど口を挟みませんでした。父の会社の手伝いをしながら家計を支えてくれていたのですが、どうも母が他の母親とは違ってパワフルな女性だなと感じてきたのは、わたしが小学校3~4年生の頃のこと。というのも、それまで父の会社の仕事を手伝うだけの専業主婦だった母が突然、手芸店を始めたからです。

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