2022-10-25

【母の教え】サイオス社長・喜多伸夫氏「専業主婦で手芸店などを興した母。起業したわたしにも母の血が流れていると感じて」

喜多伸夫・サイオス社長

 まさにゼロからの起業─。子育てが多少なりとも落ち着いてきたこともあり、手芸が得意だったからかもしれませんが、今で言うショッピングモールのような商業施設に自分のお店を出店したのです。お店自体はそこまで儲かっているわけではなかったと思うのですが、そこそこの経営ができていたようです。

 ですから、小さい頃はセーターなども母が編んでくれていましたので、母から買ってもらった記憶は全くありません。さらにどこで知恵をつけたのか、自宅を使って洋裁教室も始めました。母が講師を務めるわけではなく、あくまでも場所貸しです。近隣のファンづくりにも抜かりがなかったようです。

 つくづく母は逞しい女性だったと思います。例えば、10年ほど続けてきた母の手芸店が入居する商業施設が取り壊されることになりました。そのときに母は特段取り乱す様子もなくコーヒースクールに通い始めました。すると、今度はコーヒーショップを開店。お客様をもてなす母のアウトゴーイング(社交的)な性格もあったと思いますが、どこか起業家としての側面を持っていたように思います。

 そんな母ですが、わたしの大阪府立鳳高等学校や京都工芸繊維大学への進学については、何ひとつ口を出しませんでした。大学を卒業して中堅商社の稲畑産業に就職が決まったときは息子が安定した道を進んでくれているとホッとしたようです。

 ただ、唯一、母がわたしの進路に対して「そんなに焦らんでも気楽に生きろや」と小言をこぼしたことがありました。それはわたしの起業です。商社のサラリーマンだったわたしが33歳のときに半導体関連の仕事で米シリコンバレーに赴任しました。1993年から98年までのことです。この間に、運命の出会いが起こります。

 それがオープンソフトウエアとして誰もが無料で使うことができる基本OS「リナックス」との出会いです。これには衝撃を受けました。当時はマイクロソフトやオラクルのOSが全盛で、それぞれライセンスを得て使うという閉鎖された形が当たり前でした。ところがリナックスは誰もが自由に使えて様々なプログラムを好きなように作れる。可能性を感じました。

 米国と日本で仕事を通じて知り合ったメンバー4人のうち日本にいた1人が98年に現在のサイオスの前身となるノーザンライツを設立し、リナックス事業を開始。そして99年にわたしが帰国して社長に就任したという経緯になります。ですから今にして思うと、起業という選択肢を選んでいるところに、父・母と同じ血が自分にも流れているのだなと気づかされます。

 ちなみに、そのときの父は反対もせず、「お前の人生や。全ては自己責任。自分で考えろ」。最終的には母も同じような考え方をしていました。わたしから言わせれば、起業も含めて好き勝手やっていた母に何か言われる筋合いはないのだけれど、というのが本心にありましたが(笑)。

Pick up注目の記事

Related関連記事

Ranking人気記事