「経済安全保障を意識した上で経営を行っていく必要がある」と話すのは、三井化学会長の淡輪敏氏。新型コロナウイルス禍、ウクライナ危機で日本の産業界のサプライチェーンはマイナス影響を受けた。化学業界も生活必需品の供給が逼迫する場面もあった。ただ「地政学リスクは急に出てきたものではない」と淡輪氏。三井化学では徐々に、その備えを進めてきた。日本には、石化再編などの課題はあるものの「技術を生かした機能製品」で他社と差別化していく考えだ。
新型コロナウイルス禍、ウクライナ危機で受けたマイナス影響
─ この2年余りのコロナ禍は化学産業にも大きな影響を与えたと思いますが、どう総括されますか。
淡輪 新型コロナウイルスによって一時、全需要が大きく落ちて、化学業界も強いダウンサイドの風を受けました。それがやっと戻りつつあるという段階で、今度はウクライナ危機が起きたということで、非常に大きな変化が連続して起きたということだろうと思います。
【あわせて読みたい】三井化学と日本製紙がタッグ、紙とプラの両面性を持つ「バイオマス素材」開発 特にウクライナ危機の全体的な影響として、エネルギー価格の高騰、ひいては、それ以前から起こっていた物流価格の上昇に拍車がかかり、コスト上昇が一挙に来たというのが非常に大きなインパクトです。
─ 三井化学自身が受けた影響は?
淡輪 例えば当社はウクライナやロシアに製造拠点は持っていませんが、歯科材料などはロシア向けに売り上げがあり、マイナスのインパクトがありました。また、ロシア産の石炭を使用している工場もありましたから、他国品に切り替えたことでコストが上昇しました。
また、化学品の部分で言えば、象徴的なのはアンモニアです。アンモニアは工業材料、肥料、塗料など幅広い分野で使われますが、ウクライナ、ロシア、欧州諸国も生産国でした。
アンモニアの原料である天然ガスが十分に流通しなくなったところに民生用が優先されて工業原料としての優先度が下がり、汎用品を作る余裕がなくなって一挙にタイト化しました。
─ アンモニアは環境問題からも重要な存在になっていますね。
淡輪 そうですね。さらにアンモニアを原料にして生産する製品として尿素水がありますが、これを使用してディーゼルエンジンのNOx(窒素酸化物)除去に使用する製品に「アドブルー」があります。
当社は、このアドブルーのトップサプライヤーですが、今、国内のディーゼルエンジンを搭載しているトラックは、アドブルーが入らないと走らないようなシステムになっており、なくてはならない製品です。この供給が逼迫して、それこそ大騒ぎになりました。
我々だけでなく、複数供給者がいる製品ではありますが、中国産の尿素をベースに生産している企業もおられたので、中国から尿素が入ってこなくなった途端に一挙に逼迫したわけです。
─ 安全保障の問題が、素材の流通を直撃したと。
淡輪 はい。新型コロナ禍でもマスクの供給が逼迫したことがありましたよね。当社も原料を生産しており影響を受けましたが、「経済安全保障」の観点から、自国である程度の生産量をキープしておかないと、サプライチェーンが寸断されると、非常に大きな影響が及びます。
─ 改めて、この経済安全保障は難しい問題ですが、どう捉えていますか。
淡輪 今まではサプライチェーンがしっかり構築できていれば、経済合理性が追求できると思われていました。それが経済安全保障という観点が入ってくると、通らなくなりました。
例えば、マスクの時には原材料の国産比率が20%しかありませんでしたから、中国がマスクの供給を止めた途端にパニックになりました。
必須の製品に関しては、ある程度国内に生産体制を持っておかなければなりません。単なるコスト、経済合理性だけでサプライチェーンをつくっていると、危機時にこういう事態になるという一つの教訓だと思います。
─ 三井化学としては、対応する部署などはつくっているんですか。
淡輪 専門部署は設けていませんが、逆に言うと、マスク問題含めて国の問題ですから、企業の論理だけでなく、その方針にしっかり沿っていくことが大事です。そしてこの問題が一過性で終わらないように、きちんと考えておくことが必要です。
これまでは、どうしても一過性で終わってしまうことが多かったですね。マスク問題も「喉元過ぎれば」の話で、潤沢に行き渡ったことで切迫感がなくなっています。今こそ、国産比率を最低どの程度にするか、といった議論をしていく必要があると思います。
─ 国内で生産するとどうしてもコスト高の問題がつきまといます。どう考えますか。
淡輪 先程のアンモニアにしても、少し前までは「オールドケミストリー」と言われたほどで、各社どんどん生産をやめていました。しかし、今回の様々な問題を引き金にして、やはり経済安全保障の観点で、国内にはある程度の生産拠点がないと困るという話になってきました。
一方でコストの問題では、当社においてアンモニアは天然ガス価格をベースに製造しているため、これが上昇すると、転嫁できなければ成り立ちません。ですから、製品価格に転嫁する必要があります。
また、欧米を中心に世界的にインフレ傾向にある中で、製品の価格転嫁ができるかどうかで、その事業の強弱がはっきりしてきます。