2020-12-17

大和ハウス・芳井敬一社長が大事にする「創業者精神」とは?

芳井敬一・大和ハウス工業社長

コロナ禍で変わる働き方、住まい方

 ─ コロナ禍は長期化していますが、大和ハウス工業の経営にどんな影響、気付きを与えたかを聞かせてください。

 芳井 当初想定していたよりも、コロナと共に過ごす期間が長くなる、長期戦だと考えています。ですから、この新常態をどう過ごしていくか。その中で新しいことを考えられるかという意味で、変化した状況を見ていかざるを得ないと思います。

 コロナ禍で住まい方も変わりましたが、働き方も大きく変わりました。リモートワークについても、いずれやろうと考えていたものが、コロナが背中を押して、マストでやらねばならないに変化したのです。後押しされて働き方を変えてみたら、「意外とできるね」という感触は得られました。

 ところが、確かにできるのですが、リモートワークを進める中で課題や、注意すべき点が様々出てきました。

 ─ 課題もわかったと。どんな課題が出てきましたか。

 芳井 例えば健康軸です。在宅していると、ほぼ歩きませんから、体を動かす機会が減ります。また、お子さんがいる家庭では「今、お仕事をしているから静かにしていて」とお子さんが我慢をしている。時にはお子さんの部屋に机を持ち込んで仕事をしているケースもある。

 また、オンラインツールでは顔を見ることはできますが、微妙なニュアンスを受け取ることが難しい。さらにメールなどの文字情報はそのまま受け取られてしまうので、こちらも微妙な日本語のニュアンスが伝わりづらいということがあります。

 ─ 在宅、オンラインを活用しながらも、改善すべき点があるということですね。

 芳井 ええ。おそらくポストコロナの新常態では、出勤率を減らしながらも、明らかにフェイス・トゥ・フェイスが戻ってくるのだろうと思っています。

 オンラインツールでは、主語・述語・目的語がほぼ決まっており、冗談などの遊び、リラックスする部分がなく、いきなり本題に入る感じがしています。こういう点は今後、アップデートしていかなくてはなりません。

 ─ 在宅勤務では子供に邪魔をされたり、奥さんの目が気になって、結局ネットカフェなどに行くという話も聞きます。

 芳井 やはり今まで昼間、家にいなかった人がいると奥さんの負担も増えます。お互いに、その環境は厳しいと思うんです。ですから在宅とサテライトオフィスの組み合わせも一つの方法ですし、当社でも活用しています。

 ─ 住宅については、一部に都心から郊外へという動きも出てきました。大和ハウス工業では「快適ワークプレイス」など家の中で働きやすくなる住宅の提案も進めていますね。

 芳井 確かに、リモートワークが多い人達の中には都心から郊外に出ようという動きが出ています。加えて、家にいる家族の邪魔にならないように、仕事ができるスペース、できればもう1部屋、2部屋欲しいというニーズがあります。

 当社の商品も、3畳くらいに仕事用のスペースを区切ったプランを出すようにしていますが、働き方がリモートに変わっている職種の方などは住まい方が変わってきたことを感じますし、そこに新たな提案をしていくことが必要です。

 ─ コロナの影響で規模を問わず業績が厳しい企業も出ていますが、住宅、マンションのニーズは依然強い?

 芳井 住宅ニーズは消費税増税もありましたし、コロナ禍もありますから、雇用不安で本当にローンが支払えるか? という方もおられると思います。

 おっしゃるように大手企業さんでも冬のボーナスが出なかったり、年収を減らすところも出ていますから、マインドは落ちてきます。その意味では、この点を様々な形で後押しする政策は必要ではないかと思います。

 ただし、その政策でサポートしてもらったならば、我々住宅メーカーは、それを社会にどう還元できるかを考えなければなりません。日本経済を牽引する役目を、もう一度しっかり果たすための仕組みを考えていく必要があると考えています。

「巣ごもり消費」で物流施設に強い需要

 ─ コロナ禍では「巣ごもり消費」でネット通販の需要が高まりました。大和ハウス工業は物流施設づくりも戦略上の柱となっていますが、今後の展望を聞かせてください。

 芳井 一時期、物流は飽和に近いのではないかと言われましたが、コロナによってモノを運ぶことがどれだけ国民にとって大事なことかを、まざまざと見せつけられた結果となりました。

 やはり「運ぶ」という概念、モノが運ばれるニーズは、これからも変わらないと思います。ただ、場所やスタイルなどは変わってきます。

 今、日本の運輸業界の倉庫は、新たな機能を持ったものへの建て替えが10%程度しか進んでおらず、まだ旧式のものが使い続けられています。これをeコマースの発展にどう追いついていくかが大事です。

 ─ 利用する側のニーズが非常に変わってきていますね。

 芳井 ええ。例えばマスクなどは1週間後や明日ではなく「今日欲しい」ということになっています。そうなると、運ぶのにも、返品にも便利な人口の多い場所に物流施設が必要になるのかもしれません。

 この状況下では、様々な事業主さんが物流施設に土地を貸そうと思われるかもしれませんから、我々が新しいアイデアを持ち込むことで、また世の中のお役に立てる可能性が高いと思っています。

 ─ 物流倉庫は地方の土地を活用し、活性化させる機会にもなりそうですね。

 芳井 そうですね。市場を見ながらですが、活用は考えています。おそらく、物流施設を北海道から沖縄まで全国展開しているのは当社くらいではないかと思います。

 ─ ニーズはどんどん掘り起こせるのだと。

 芳井 そう思っています。今、自分達のポートフォリオの強さを再認識できていますし、その拡大をどうするかを考えています。

 例えばデータセンターを手掛けていますが、この事業をどの軸で捉えるかという時に、私は物流だと言っています。データセンターはデータを保管する役割がありますが、これは物流の中に入ってくる。例えば千葉県印西市で進めている、日本一大きいデータセンターなどは、我々の大きな売りになってきます。

大和ハウス千葉ニュータウンデータセンターパーク
大和ハウスが千葉ニュータウンで開発しているデータセンターパーク(完成予想図)

 今は次世代通信規格「5G」への対応ですが、この世界は6G、7Gととどまることはありません。それによってデータセンターの持ち方は変わってくるとは思いますが、必要性は変わらないと考えています。

アクセルもブレーキも全力で踏みながら


 ─ やはり変革を続けた者がチャンスを掴むという本質は変わりませんね。

 芳井 ええ。我々は昔から「無から有を創る会社」です。選ばれる会社になるためには単純な請負ではなく創意工夫が必要で、それをお客様に買っていただくのだという方向に会社を持ってきていますし、それを社員に言い続けています。

 ここ最近、私は業績数字に関しては全社に対してほとんど話していません。結果を伝えるくらいです。話しているのは理念です。そして、それを受けた事業責任者が自分達に与えられた、出した計画を進めるためのストーリーを伝えなければなりません。精神論ではなく、その道にどうやったら「届く」のかという話をしなさいと言っています。

 ─ 数字も大事ですが、企業にとって何が本質かを考える必要があるということですね。

 芳井 ええ。コロナについても、緊急事態宣言前は「見えない敵」でしたが、それを越えてからは前に行く話をしなければいけないと。菅義偉首相も経済に関してはアクセルも目一杯踏むけれども、ブレーキも思い切って踏むという姿勢で進めておられます。

 我々企業も、そうしなければ従業員の生活を守れませんし、我々と共に一緒に働いてくださっている協力会社の方々などを守ることはできません。ですからアクセルを踏む。その時には思い切って踏んで、明るく行こうと思っています。

 社内には「我々の業界は恵まれていることを認識して仕事をしよう」と言っています。消費税増税があれば政府が政策を出してくれますし、コロナ禍でも我々の意見を聞いてくれる。その認識を持って、社会と共に生きていくことを意識する必要があります。


「21世紀は風と太陽、水の時代になる」

 ─ これはESG(環境・社会・ガバナンス)やSDGs(持続可能な開発目標)にもつながりますね。菅首相は2050年にCO²ゼロという目標を掲げています。

 芳井 我々も再生可能エネルギーの発電事業に取り組んでおり、今はその多くを売電をしています。今後はそれを自己消化に回して、それで事業所の電力を賄う〝自給自足〟をしようとしています。

 振り返れば当社は、ESGの概念が、それほど世に浸透していない頃に環境エネルギーの部門を立ち上げるなど、いち早く取り組んできています。

 ─ 前向きに時代のニーズを捉える伝統があると。

 芳井 そうですね。そもそも創業者の石橋信夫相談役が1990年頃、「21世紀は風と太陽、水の時代になる」と予測し、社内に事業化を促しました。そして今、時代がそのように動き、会社としてその軸を持っていることについて、やはり創業者はすごいと実感します。

 ─ 危機の時代にあって、いかに経営の座標軸を構築していくかが大事ですね。その意味で創業者の思想を今につないで来た、現・最高顧問の樋口武男さんから学んだことは?

 芳井 学んだというか、動きを見ていて「よくそこまで見えるな」と感じます。また、最高顧問の話は面白いですから、みんなが笑います。一方、ビジネスになるとあまり喜怒哀楽を出さないんです。そして我々の話は自然に受け止めてくれます。

 当社は村上(健治)社長の時代に「良い会社にする」、「攻めと守りのバランスをきちんとしていこう」ということで取り組んできて、そうした会社が出来上がってきました。

 そして、バブル崩壊後下り坂だった景気が上がり出し、世の中にチャンスが生まれた攻めの時に、前任の大野(直竹)社長が積極的に売って出た。この時の取り組みが、今につながっています。

 それをマネジメント、コントロールしてきたのが、当時の樋口会長で、社内のことですが、その人材登用は非常に上手だったのではないかと感じます。

 ─ それぞれの時代の経営者の役割があったということですね。そこに創業以来一貫した、変革への対応があると。

 芳井 そう思います。樋口会長は、ずっとそれを言い続けてきました。そして当社には、創業者が書いた『わが社の行き方』という著書、バイブルがあります。その原点を大事に、これからも時代の変化に対応していきます。

Pick up注目の記事

Related関連記事

Ranking人気記事