2023-10-08

【青春座談会】我らが母校・東海高校の良さと伝統を語ろう!

左から、高岡本州・エアウィーヴ会長兼社長、廣田康人・アシックス社長、加藤勝彦・みずほ銀行頭取、柴原慶一・アンビスホールディングス社長

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人生を模索する中、それぞれの思い出

 ─ 中・高の6年間は多感な時期ですが、廣田さんにとっての青春は?

 廣田 中学時代は私も含め、何となく悶々としながら過ごしていましたよね。そんな中、高校1年生の時の担任だった宮崎宏一先生から「1日1冊本を読みなさい」と言われたんです。

 1日1冊は実際には難しいのですがチャレンジしてみようということで、星1つの岩波文庫(かつては星の数で定価を表示していた)を買ったり、図書館で借りたりして、乱読ではありましたが、とにかく大量の本を読みましたね。

 私は通学時のバスを、ターミナル駅である金山駅で乗り換えていたのですが、そのバスを待つ時間に近くの書店に立ち寄って、そこでいろいろと本を眺めていたという思い出があります。

 ─ 本に親しむ日々だったということですね。

 廣田 ええ。また、途中で辞めてしまいましたが中学、高校とスキー部でノルディックスキーをやっていたんです。志賀高原などに合宿に行きましたし、先輩が厳しかったことが思い出されます。この時に体力、忍耐力が養われた感じもしています。

 他に、近隣に金城学院という女子の名門中高一貫校があり、バスや地下鉄で生徒を見かけるのですが、男子校の我々にとっては憧れの学校でしたね(笑)。

 柴原 我々の世代も同じです。ただ、金城学院の学園祭に行くと、東海学園の先生が門の前で見張っていて入れませんでしたね(笑)。

 高岡 私の金城学院の思い出は、通学の時のバスです。バス停で前に2、3人の金城生が並んでいる後ろに並んでいたら、後からその友達がやってきて「こんにちは」と言って割り込んでくる。こちらはズルズルと後ろに下がるんですが何も言えない。最終的には30人くらい前に並ばれていましたね(笑)。

 ─ バス停の思い出ですね(笑)。高岡さんは学園生活ではどんなことが思い出されますか。

 高岡 東海には名物の先生がおられて、その方々は戦争帰りのような人達ばかりでした。例えば剣道部には陸軍中野学校出身の達人がいましたし、柔道部には確か8段だったと思いますが、赤帯を締めるような達人がおられて、この先生方の話は抜群に面白かったですね。

 この柔道の先生は授業になって我々クラスのメンバーが元気そうだと見れば、「もうよし。今日は外で野球をやろう」といって運動場に出てしまう(笑)。

 その意味で、東海では勉強という以上に、そういう先生方と接した気持ちだったり、人としてのあり方を教えてもらったような気がしているんです。

 ─ 加藤さんは剣道部だったそうですが、思い出は?

 加藤 東海剣道部は最終的に職業として剣道を選ぶようなライバル校の選手達と、常に競っていました。彼らは朝から晩まで竹刀を振っているのに対して、我々はどうやれば効率的に勝てるかを考え続けた6年間でした。

 東海の剣道部は代々、インターハイに出ていたのですが、私達の代は最弱、谷間の世代と言われていました。個人でインターハイに行った仲間が1人いましたが、団体戦ではあと1人勝てばというところ、決勝で私が負けたことで行けなかったんです。無念でしばらくは夢にも出ましたが、下馬評からすれば望外の好成績でした。そうしたこともあって、我々の代は団結力が強いんです。

 ─ ずっと剣道をやってよかったと思うことは何ですか。

 加藤 私が語るのもおこがましいのですが、剣道は立ち上がった時の間合い、距離感が非常に大切なんです。今感じるのは、お客様や仕事に対する距離感を意識しているかなということです。そして、剣道では中途半端に打っても絶対当たりませんから、しっかり振り切るということも、できているかは別にして常に意識していることです。

 そして団体競技と個人競技であり、個人の強さが団体の強さになるのですが、我々は個々の強さで強豪に劣っても、5人のうち誰か3人勝てばいいという考え方で、相手との相性を考えて順番を入れ替えたり、相手のタイプを見ながら練習していました。スポーツ剣道かもしれませんが、結果を出すという意味では大いに勉強になりましたね。

 ─ やはり中・高の6年間は人格形成の大事な時期だということですね。東海は医師になる人が多い学校でもありますが。

 廣田 仲間にはいろいろな人間がいて、今でも付き合っていますが、おっしゃるように半分は医師になります。

 高岡 国公立の医学部に進学する人数は、この10年以上、東海がナンバーワンです。開成や灘が東京大学の理1、理2に行こうという風潮がある中、東海は名古屋大学を始めとした国公立の医学部を目指している。私は理系でしたが、周りがみんな医学部に行くのが当たり前という中、数少ない技術系でした。

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