2023-06-21

【政界】岸田首相による首脳会談への表明に即応してきた北朝鮮の真意

イラスト・山田紳



停滞の歴史

 北朝鮮による拉致問題を巡っては、2002年9月に当時の首相、小泉純一郎が訪朝し、総書記・金正日と日朝首脳会談を行って拉致被害者5人の帰国につなげた。それ以降も日朝政府間で協議は続けられたが、拉致問題に進展はみられない。

 その間、拉致被害者の横田めぐみ=拉致当時13歳=の父・滋や、田口八重子=拉致当時22歳=の兄・飯塚繁雄らは再会を果たせぬまま亡くなり、被害者家族の高齢化が進んだ。「残された時間は少ない」という思いだけが膨らむ。

 ただ、かつて拉致問題が進みかけたときがあった。北朝鮮は14年5月、「拉致問題は解決済み」とする立場を改め、拉致被害者を含む行方不明者の再調査を行う「特別調査委員会」を設置することを約束した。再調査の見返りに日本政府が独自制裁の一部を解除することで合意した。

 しかし、北朝鮮は15年12月に長距離弾道ミサイルを発射し、16年1月には4回目の核実験を行った。そのため日本が合意に基づき一部解除した制裁措置を復活させると、北朝鮮は一方的に再調査の中止を宣言し、特別調査委員会を解体させた。

 北朝鮮は再調査で拉致被害者2人が生存していることを水面下で日本に伝えると共に、これで拉致問題は完全に解決したという合意を求めてきたという。これに対し、日本政府は生存者2人で幕引きしようとする姿勢に納得せず、再調査の継続を求めて交渉したとされる。

 北朝鮮が一方的に再調査の全面中止を宣言したのを最後に日朝協議は行われておらず、外務次官の朴は今回の談話でも「拉致問題は解決済み」との姿勢を崩していない。

Pick up注目の記事

Related関連記事

Ranking人気記事