2023-03-17

ミライロ・垣内俊哉社長「コロナ禍でも意志ある経営者は障害者への取り組みをやめなかった」

垣内俊哉・ミライロ社長




様々な取り組みが停滞したコロナ禍にあって…

 ─ 垣内さんにとって、コロナ禍での経営というのは、相当厳しい経験でしたか。

 垣内 大いに苦しんだ状況ではありましたが、歩みを止めることなく進むことができました。

 ただ、各企業は19年の時点で東京オリンピック・パラリンピックに向けて動いており中止、延期という動きの中で、一斉に取り組みが停滞しました。当然のことですが、感染防止対策に追われ、かつ、雇用を守っていかなければいけない中で、障害者対応は二の次になってしまった面がありました。

 弊社の業績は著しく悪化しましたが、そこで一つ工夫をしました。他社と同様リモート対応で営業活動を進めるとともに、「ユニバーサルマナー検定」をeラーニングの形で提供できるようにしたのです。

 こうした取り組みによって、コロナ禍においても、例えばダイハツ工業さんなどは、障害者雇用がますます必要になる中で身につけておくべきだということで、工場勤務の方に至るまでのべ1万5000人の方々に受講していただきました。

 コロナ禍を耐え忍んだからこそ、これまでいただいた様々なご縁があったからこそ、今につながる、未来につながる取り組みができたのだろうと思います。

 ─ コロナ禍は、改めて人と人とのつながりを求める動きにつながっていますね。

 垣内 そうですね。さらにはSDGs(持続可能な開発目標)もあります。SDGsは「誰1人取り残さない社会」を謳っていますが、17の目標のうち、9つは障害者に関連してきます。

 さらに、現在全人口のうち、障害者の割合は8%です。今後、新商品を開発し、マーケティングをする際に、100人のうちの8人の声が入っているかが重要になってきています。

 実際に塩野義製薬さん、ロート製薬さん、リクシルさんなど、多くの企業から弊社にご依頼いただいて、新商品をつくる際には、障害者の声を反映し、アップデートしていこうという動きになっていますから、非常に手応えを感じています。

 ─ まさに共生、多様性の時代だといえますね。

 垣内 私は今、将来に希望を持ち、大いに楽観視しています。

 50年前、企業と障害者は対立関係にありました。1970年代半ばに起きた「川崎バス闘争」では、バス会社の労働組合に属する皆さんが、賃金が十分ではない中で障害者対応までするのは難しいということで、乗車を拒否するという問題がきっかけとなりました。

 当時は高度経済成長期でありながらも、オイルショックもあって経済状況は厳しく、障害者対応まで手が回らなかったのだと思います。現在はコロナ禍で、当時と同様の対応になってしまう可能性もありましたが、実際はそうなっていません。

 それは、やはり意志を持った経営者の方々がおられたことで、我々の取り組みにも理解を示していただき、できることを進めていこうと動いていただいたからだと思います。

 未曾有の事態の中でも、障害者への取り組みはおろそかになることなく、着実に進んだという意味では、50年経って、日本は間違いなく進化していると感じます。

 今後、社会では多様性への配慮という機運がさらに高まっていくことが予想されますから、障害者を一つのきっかけとして、こうした動きを取ることができているのは、将来に向けていいきっかけになると思っています。

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