2023-03-09

認知機能の低下を抑える世界初の薬を産んだ【エーザイ】の執念

内藤晴夫・エーザイCEO

アルツハイマー病の患者や家族にとって待ちに待った朗報となったエーザイの認知症薬「レカネマブ」。1月から米国で販売され、日本で製造・販売の承認申請を行った。メガファーマがいる製薬業界の中でも、なぜエーザイが世界初の新薬を産み出すことができたのか。その背景にはトップに就任してから35年越しのCEO・内藤晴夫氏が味わった悔しさと決断がある。今後は同薬の〝育薬〟のステージで同社の力が試される。

【エーザイ】の認知症薬が米で迅速承認 価格や使い勝手の面で課題も

「涙が一滴出た」

「新薬により認知機能や日常生活などをより長く維持できる可能性がある」─。エーザイCEOの内藤晴夫氏は語る。年明け早々、日本発のレカネマブが米国で迅速承認。続けて欧州と日本でも承認申請を行った。

 良い報せも悪い報せも土曜日の早朝にやってくる─。レカネマブの朗報もまさにそうだった。1月7日午前4時、枕もとに置いていた内藤氏の携帯電話が鳴った。「Congratulations!」。米国から迅速承認の第一報を電話で受けた。

「涙が一滴出た。普段、涙が出るなんてことはない」と振り返る。もともと内藤氏の祖父が創業したエーザイは認知症に特化した企業ではなかった。内藤氏の父の代になって日本で初のビタミンE剤『ユベラ』の開発を手掛けて以来、ビタミンE関連の店頭薬を世に送り出してきた。

 そして1988年、内藤氏が社長に就任。当時のエーザイの売り上げ規模は約1600億円。それが約7500億円規模にまで成長したのは、内藤氏が製薬会社の生命線が研究開発であり、認知症に注力するという大きな決断を下したからだ。

 今回のレカネマブはアルツハイマー病の原因とされる「アミロイドベータ」を標的とした医薬品だが、その薬の基となる学説は2000年頃にスウェーデンにある大学の研究成果だった。その後、大学発の創薬ベンチャーが誕生。この研究の潜在力と可能性に目を付けたエーザイが05年に同社と提携したのだ。

 ただ、「認知症で仕事をしている」(内藤氏)エーザイにとって、1000億~2000億円とも言われる新薬開発のコストを賄うためには経営資源を集中させる必要がある。そこで内藤氏は食品原料の子会社を三菱化学フーズに売却したり、診断薬子会社も積水化学に売却。幅広い疾患領域を手掛ける「総合製薬」の看板を下ろし、がん分野と認知症などの神経分野に新薬の開発を集中させていった。

 認知症に狙いを定めたのには理由がある。1996年に抗アルツハイマー病薬の「アリセプト」が米国で承認されていたからだ。このアリセプトなどの貢献で2002年には同社の海外売上高比率が初めて5割を超え、ピーク時の10年3月期の売上高も3200億円に拡大した。

 ただ、アリセプトは対症療法薬。脳内の神経伝達物質の分解を抑え、症状を改善するにとどまる。しかも、同薬の特許も10年から切れた。そのため同社は〝特許の崖〟と呼ばれる売上高の急減に見舞われ、実際に09年3月期売上高の8032億円を境に下落を続けていった。

 だからこそ内藤氏はアリセプトが登場したときから後継薬の開発を指示していた。その種になっていたのが前述の創薬ベンチャーとの協業だった。しかしながら今回のレカネマブの承認に至るまでにはもう1つの悔しさがあった。それが21年に同じく米国で迅速承認を取得した「アデュカヌマブ」だ。

 認知機能の低下を長期的に抑える世界初の薬─。そんな冠を掲げての同薬だったが、年間薬剤費が5万6000㌦(約610万円)と高額だった上に、2つの臨床試験(治験)のうちの1つでデータが不十分とされて有効性を示せなかった。結果、米国における高齢者向け公的医療保険「メディケア」が使用制限を決め、処方拡大には至らなかったという苦い経験があった。

 今回のレカネマブの米国での年間薬剤費は2万6500㌦(約350万円)。この価格はアデュカヌマブの当初の半額以下だ。内藤氏は「(患者が)支払い可能な各水準を考慮することが大変重要だ」と語り、「現在の製薬企業に求められているのはイノベーションと(新薬への)セクセスだ」と強調する。

 レカネマブの評価は高い。「アルツハイマー病薬の進行抑制効果は20%あれば合格ライン」(認知症に詳しい専門家)と言われる中、同薬は27%という数値を達成しているからだ。認知症の進行抑制によって「家族の介護負担が軽減され、社会的な生産性が回復するなど前向きなインパクトをもたらす」(内藤氏)側面は大きい。


価格や検査態勢の整備が課題

 もちろん課題もある。まずは価格設定だ。日本で保険診療になれば、通常は米国よりも低い年間薬剤費になると見込まれる。ただ、年間100万円単位になると言われており、医療財政との兼ね合いが指摘されそうだ。

 次に投与対象者を判別するための医療インフラが未整備であることだ。レカネマブの投与対象者は軽度の認知症患者に限られ、症状が悪化すれば使えない。対象者かどうかを確認するためには、今は事前に陽電子放出断層撮影や脳脊髄液といった高額かつ患者に負担をかける特別な検査が必要になる。

 内藤氏はより安価で簡便に投与対象かどうかが判断できる血液バイオマーカーの実用化など「医療インフラが急速に改善されることを期待したい」と話す。

 いずれにしても、「不治の病」とされるアルツハイマー病の患者にとってレカネマブが一筋の光明であることは間違いない。ライバルと目されていた米イーライリリーのアルツハイマー病新薬候補「ドナネマブ」は米国での迅速承認が見送りとなった。

 内藤氏によればレカネマブの投与対象は今後3年で米国で10万人、30年には中国やインドなど世界で250万人が対象になるとみる。しかしながら、世界の認知症患者は足元で5000万人強とも言われている。

 社長就任から35年。内藤氏の執念が実を結んだエーザイの認知症ビジネスは育薬のみならず、医療インフラの整備も求められることになるだけに、同社の真骨頂が試される。

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