船会社の社長が号泣する姿に…
─ ところで、大学を卒業した時に損害保険会社を志望した理由は何でしたか。
白川 私のパーパスみたいな話になりますが、就職活動の際に持っていた唯一の思いは「人に信頼される人間になりたい」というものでした。
人に信頼されるには、何か困った時に手を差し伸べるというのが、一番早いのではないかと。そうなると保険という発想になりましたが、損害保険は個人、企業の活動に対して、何か手を差し伸べることができ、自分を鍛えてもらえるのではないかという思いを持ち、損保業界の門を叩きました。
─ 心に残っている仕事にはどういうものがありますか。
白川 入社5年目ぐらいのことです。当時はあまり景気がよくない時だったのですが、お客様の中に船を1隻所有して、家族経営で船会社を営んでいる企業がありました。私は船舶保険の営業を担当していたんです。
保険対象物の価額よりも設定している保険金額を少なくする「一部保険」というものがありますが、お客様と協定をしていれば普通に行うもので、100の価値に対して7割、8割で保険を付けるんです。
ただ、この時に船会社のお客様は、景気が悪化する中で保険料を下げるために一部保険にして欲しいという話をしてこられました。できないのであれば、他社に切り替えるとおっしゃるのです。
─ どのように対応をしたんですか。
白川 私は営業担当でしたから、仕方がないなという思いで実行しました。そうしましたら数カ月後に、1隻しかない船が沈没をして全損になってしまいました。
船を造る時には銀行さんから融資を受けることがほとんどですが、保険金が残債に全く足りない状態でした。そこで、その会社の社長さんが個人破産をされたんです。
私どもは、お客様との契約の中で、決められた保険金をきちんとお支払いしたのですが、社長さんは私の胸ぐらをつかんで「なぜ、あの時俺を殴ってでも満額の保険を付けさせなかったんだ」と号泣されました。もちろん、ご自身から言い出されたことをわかっていておっしゃっているんです。
当時の私はまだ若く、お客様の保険料を下げて欲しいという要望に応えることも寄り添うことだと思っていました。しかし、その時に真にお客様に寄り添うというのは保険の効果、重要性をきちんとご納得いただけるように説明の努力をすることだと思い知らされました。
一方、事故があったから、こういう言い方ができますが、では事故がなかった場合にはどうだったのだろうか、と思い返すこともあります。
これ以降、自分の中で保険の重要性、存在意義をブラさずにやっていこうと心に決めました。会社人生の中で頭の中から離れない出来事の一つです。
─ 逆に嬉しかったことはどんなことですか。
白川 今、お話した出来事以降、お客様に寄り添うことを徹底してきたこともあってか、お客様に可愛がっていただいて、いろいろな経験をさせていただいてきました。
これはご契約という意味もありますが、いろいろと大きな仕事をさせていただく中で、自分の経験もどんどん高まっていきますし、そうした一つひとつ経験させていただいたことの積み重ねにつながっています。これが今振り返るとよかったことだなと感じます。