若い官僚が役所を辞めてしまう理由
─ 田中さんは役所を辞めて学問の道に転じたわけですが、どんな経緯がありましたか。
田中 07年から10年に休職して一橋大学に行きました。その際に、博士論文を書きました。大学の良い点は、役人と異なり、言論の自由があることです。
10年に霞が関に戻った時にはちょうど民主党政権の時代でした。政権交代はどこの国でも政策が変わるチャンスだと期待をして、関係する会議にも呼ばれ、助言しました。ただ、実際には経験のなさを露呈して失敗し、国民もがっかりしました。
私もその1人でしたが、このまま役所で働くのもどうかなと感じて、大学の公募に応募しました。その結果、明治大学大学院に籍を置くことになったという経緯です。
─ 今、若い官僚ほど早く辞めてしまうと言われています。この問題をどう考えますか。
田中 これはよくわかります。収入を求めて公務員になる人はおらず、普通はやり甲斐や公務の重要性を考えて公務員になります。
私は大蔵省に入りましたが、今で言うとブラックな職場環境でした(笑)。まさに「朝から朝まで」働いていましたけれど、それなりにやり甲斐がありました。国の政策を動かしていると感じることができました。
そして、いわゆる「天下り」がいいとは決して言いませんが、お金の面では、現役時代は安月給でも天下りがあったことで帳尻が合っていました。
しかし、今は、天下り、あるいは役所が第2の就職先をあっせんすることは法律で禁止されています。昔は、キャリア組(総合職試験合格者)は50歳前後で早期退職して天下っていましたが、今は、彼らもほとんど定年まで勤めて辞めます。その後、何とか第2の勤め先を探しますが、昔のように生涯所得を上積みすることは難しくなっています。
先程お話したように政治主導でやり甲斐が低下していることも大きいと思います。関連して、キャリアが発展しないという問題があります。霞が関はゼネラリスト志向ですから、1、2年で異動します。専門性に基づいたキャリアを積み重ねることが難しいわけです。若者はキャリアが発展しないし、給与面でも恵まれないとして辞めてしまうのです。
─ 田中さんは85年に大蔵省に入省していますが、当時は優秀な学生がこぞって志望する先でしたね。
田中 当時はそうした雰囲気がありました。今は東大法学部を出ても役所に行く若者は少なくなりました。彼らの希望は外資系コンサルティングファームや弁護士、メガバンクなどでしょう。