─ 大橋さんがクラークという名前に込めた思いとは?
大橋 私が小学校4年生のときに読んだ国語の教科書に「Boys, be ambitious.」の言葉を遺したクラーク博士のことが題材となっていました。そのときのクラーク博士の思いが自分の心の中に生きていたのです。そして、高等学校をつくるときも場所が北海道でしたから「クラークさんだ」と思いました。
北海道庁に行って確認していたところ、「誰もクラークという名前をつけていない」ということで、最初は認めていただけませんでした。しかし私にとっては小学校4年生のときに国語の教科書で読んだ衝撃がある。諦めきれなかった私は、クラークさんの末裔を探したのです。
─ 見つかったのですか。
大橋 はい。調べてみると、4代目はカナダの小さな街の市長さんで、5代目はお嬢様で会計士をしておられました。連絡がとれた4代目の方から「自分はもう年なので、もし日本に行けるチャンスがあれば娘を行かせてやって欲しい」と。それでお嬢様が来日してくれたのです。
─ 道庁の人たちの反応はどのようなものでしたか。
大橋 皆さん、びっくりされていましたね(笑)。そして、クラーク家のお嬢様の来日に合わせて当時の横路孝弘・北海道知事と青島幸男・東京都知事も是非ともお目にかかりたいと。さらには兵庫県の貝原俊民知事も会いたいとおっしゃいましてね。やはり、この年代の方々にとってクラーク博士のBoys, be ambitious.の精神は自身に大きな影響を与えたのでしょうね。
─ クラークが説いた『志』は人々の心にずっと生き続けていますね。ただ、最近では「青年よ、大志を抱け」といったフレーズはあまり聞かれませんね。
大橋 そうですね。そもそも保護者がBoys, be ambitious.を実行していないからかもしれません。そして、子どもたちも、そんなに大きな人生を考えていないということもあるのかもしれません。若者の志が少し小さくなっているような気がしてなりません。
─ そういう中でクラーク高校は志を教え込んでいると。
大橋 はい。もちろん学業もしっかり寄り添います。1年生は学校の授業が終わってから、放課後に中学校の補習もやっています。そうすると、生徒たちも徐々に分かってきます。あのときは分からなかったけれども、こんなに分かるんだと。生徒は分かるということを学ぶと自らも頑張るものです。
─ 米国のクラーク家を訪ねるという大橋さんのその情熱はどこから出てくるのですか。
大橋 そのときは何が何でもクラーク博士をと思っただけです。北海道庁からクラーク博士の名前を冠するに値する根拠が欲しいと言われ、これはもうクラーク博士の子孫を見つけて我々の教育を見てもらう以外にないと。その一心でした。
そのお嬢様にはすでに開校していた兵庫県の「専修学校国際自由学園 芦屋校」や大学予備校なども見学していただきました。また、現在の「クラーク記念国際高等学校 東京キャンパス」にも来ていただき、先生や生徒たちにも会っていただきました。
─ 大橋さんの志や情熱を感じ取ってもらえたのですね。
大橋 とにかく自分たちの教育をしっかり見ていただき、お嬢様からは「クラーク家としてクラーク記念国際高等学校を認めます」というサインをしていただきました。お嬢様はお父様にもご連絡をされ、「素晴らしい」と言っていただきました。
実はその後、10年ほどが経ち、市長を退任されたお父様も来日して深川のクラーク高校を見学されたのです。そして、お父様も「うちの娘が来て認めて良かった」と。お嬢様も、「私の5代前のおじいさんが日本でこんなに尊敬されている教育者になっているとは知りませんでした」と驚かれていました。