2023-03-02

岸田首相はなぜ、植田和男氏を日銀新総裁に選んだのか?

日本銀行本店



 財務省幹部は「そんな困難な状況下で、ある種、必然的に植田氏に白羽の矢が立った」と解説するが、経歴を見ればそれもうなずける。

 1976―80年の米マサチューセッツ工科大学(MIT)留学時代には世界的な金融政策研究の権威とされ、後にFRB(米連邦準備制度理事会)副議長を務めたスタンレー・フィッシャー氏の指導を受けた。

 フィッシャー門下には、前述の元FRB議長・ベン・バーナンキ氏や欧州中央銀行(ECB)の前総裁・マリオ・ドラギ氏も名を連ねる。

 さらに、植田氏は東京教育大学附属駒場高校(現・筑波大学附属駒場高校)の出身で、現総裁の黒田氏や、コロンビア大学国際・公共政策大学院教授の伊藤隆敏氏は先輩に当たる。植田人脈は国内外の学界、中央銀行界にも及ぶ。

「諸外国では超一流の学者が中央銀行の総裁に就任することが一般的になっている中で、日本で戦後初めての事例となった。植田さんが実績を残すことが、日本にとって世界標準に近づく大きな一歩になる」(政府筋)

 激変を起こさないよう、足元では金融緩和を継続しつつ、中長期の弊害を見据えて「出口戦略」を設計していくことが、植田氏に期待されていること。

 日銀審議委員時代(98―05年)には総裁の速水優氏の下、「ゼロ金利政策」や「量的緩和政策」の導入において理論的支柱となった。

 一方で、2000年8月の金融政策決定会合では、速水氏が提案したゼロ金利解除を「時期尚早」と判断し、リフレ派の審議委員だった故・中原伸之氏とともに反対票を投じた。霞ヶ関や永田町で「バランス感覚に優れる」と評価されているのはそのためだろう。

 まさに、「どこからも文句のつけにくい総裁候補」である上、近年、日銀出身者と財務省出身者が「たすき掛け」で務めた慣例が崩れることで、首相には「岸田カラー」を演出できるメリットもあった。

 新生日銀は、植田氏、氷見野氏、内田氏の「トロイカ体制」となる。日銀内では「ベストミックス」(日銀幹部)と歓迎する声も出ているが、取り巻く環境が厳しいことには変わりない。

 昨秋の急激な円安や、国債市場の機能不全に象徴されるように長く続け過ぎた異次元緩和の弊害が噴出している。しかも、インフレと利上げで海外経済は景気後退入りが予想されており、植田氏自身が記者団の取材に対して「非常に難しい経済情勢」と認めるほどだ。

「植田さんは日銀審議委員時代、当時としては思い切った金融緩和の推進者だったため、現在の日銀の政策との親和性はある。ただ、マイナス金利、YCC、国債やETF(上場投資信託)を大量に購入するといった『異次元』の政策は長続きするものではないという認識は持たれていると思う。すぐに激烈に動くということはないと思うが、政策変更に向けた準備は始めるのではないか」(市場の有力筋)

 市場の実勢に見合わない水準に長期金利を強引に押し下げる現行の政策は「事実上の財政ファイナンス」とも批判されている。長期金利、短期金利を同時にコントロールしようというYCCはいずれ撤廃せざるを得ないだろう。

 その際、最大の課題となるのは企業経営や国の財政への悪影響をいかに抑えるかだ。政策修正の仕方を誤り長期金利が大きく跳ね上がれば、1000兆円もの国債発行残高を抱える国の資金繰りが一層厳しくなる。金融市場の環境激変で、企業の資金調達が困難になったりする事態も懸念される。家計にとっては住宅ローン金利の跳ね上がりも心配の種だろう。

 実際、産業界では「金利のつかない世界」を前提に、大規模なユニコーン投資を仕掛けてきたソフトバンクグループへの影響も大きい。携帯電話事業への参入で設備投資を膨らませてきた楽天などの経営への影響も必至。財務体質がぜい弱な企業は時に覚悟が求められる。

 また、新型コロナウイルス禍に伴う支援策として実質無利子・無担保の「ゼロゼロ融資」を受けた中小企業の返済は今後、本格化する。そんな状況下で金利が急上昇すれば、経営危機が一気に表面化しかねない。

 国の財政運営が厳しくなれば、景気が悪化しても十分な経済対策を打てなくなる。深刻な不況に陥る恐れもある。この未曽有の難局に植田氏はどう対峙するのか。4月27、28日に開かれる初陣の金融政策決定会合での議論と、その後の初の総裁記者会見が注目される。

 現総裁の黒田氏は異次元の政策を繰り出してきた代償として、「市場との対話」が不足していたのではないかという指摘をされることが多かった。政策を先読みされると海外筋の攻撃を受けるという背景もあったが、それでも丁寧な対話を求める声は強かった。植田氏にはこうした声を受けて、どう発信するかが問われる。

 金融政策だけでなく、財政を担う政府、そして成長を担う民間企業の意識変革、決断も求められる。緊張感と覚悟の「5年間」である。

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