2023-02-15

【母の教え】日本M&AセンターHD・三宅卓社長「吃音に悩んだ幼少期からのびのびと育ててくれた母。感謝の一点です」

三宅卓・日本M&Aセンターホールディングス社長




音楽、写真など母の影響で始まった趣味

 小学生時代は兵庫県神戸市で育ち、父の転勤で中学時代から京都府舞鶴市に引っ越しました。神戸時代に通っていた小学校のレベルが高かったおかげで、舞鶴ではいきなり学年トップクラスの成績になりました。

 しかし、これによって勉強をしなくなってしまいましたから、その後は成績が下がる一方です。そこで母は私が高校受験を迎える前、ボランティアで「点字」の翻訳を始めました。

 本当に大変な作業で、まさに朝から晩まで、時に夜中の12時まで取り組んでいました。私に集中して物事に打ち込む姿を背中で見せてくれたのです。この姿を見て改めて勉強に打ち込み、中学を卒業する頃には、舞鶴市全体で15位前後の成績を修めることができました。

 また、母は私に生涯の趣味を与えてくれました。それが先程もお伝えした音楽です。私が幼稚園に行くか行かないかという時期にレコードプレーヤーを買ってくれて音楽に触れされてくれたのです。

 また、母は自分がピアノを弾くこともあって歴史や音楽家、指揮者などにも詳しく、いろいろなことを教えてくれました。

 小学校6年でビートルズと出会い、中学1年、2年はポピュラーミュージック、中学3年からはジャズに傾倒するなど、私の生活は今に至るまで音楽と共にあります。40の手習いで仲間とバンドを始め、若手ミュージシャンの育成にもボランティアで携わっているのです。

 他にも、中学校時代に父にライカのレプリカをプレゼントしてもらったのをきっかけに、カメラに熱中するようになりました。ロバート・キャパ、アンリ・カルティエ=ブレッソンに憧れて、彼らが属する写真家グループ「マグナム・フォト」に入ることを目標にしていました。

 母の影響で本を大量に読むようになり、社会情勢などに触れる中で報道写真の世界に強く惹かれるようになったのです。ただ、大学時代に自分の限界を知り、勤め人として社会に出ることを決めました。

 大学卒業後は日本オリベッティに入社し、技術系としてソフトウエアに携わりたかったのですが「ソフトに向いていない」と言われて1年で営業に移ることになりました。しかし、うまく話すことができません。

 そこで、話をしなくてもお客様に製品の良さが伝わるように工夫に工夫を重ねました。カメラに打ち込んでいたことで、写真を通した表現には自信がありましたから、セールスストーリーをつくった上で、写真などを交えてビジュアルで表現し、お客様にわかってもらうようにしたのです。

 これによって営業成績で同期中ナンバーワンになることができました。深く考え、相手のためになることを準備する。これが私のビジネスの基礎です。

 オリベッティ時代には、私の人生を変える出会いがありました。それが当社の創業者である分林保弘(現会長)との出会いです。営業課長として「営業とは何か」を教えてくれました。

 その後、「後継者問題を解決するためにM&Aの会社を設立する」という分林の考えに共鳴し、設立に参画することを決めました。それ以来、お互いの強み、弱みを補い合いながら、会社を成長させてきたのです。

 私はオリベッティ時代に営業になって、1年365日仕事に打ち込むことを心に決めて以降、ほぼ変わらない生活を送ってきました。休むときはしっかり休みますが、社長になってからも生活はあまり大きくは変わっていません。母は体の心配をしてくれるくらいで、私のやることを信頼してくれています。

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