2023-01-23

【なぜ今リカレント教育なのか?】第一生命ホールディングス会長・渡邉光一郎の「産・学・官連携で人材づくりを」

渡邉光一郎・第一生命ホールディングス会長 (経団連副会長)



中曽根内閣以来の教育改革の流れの中で


 産業と教育両者の関係に入る前に、日本の教育改革の歴史を辿ると─。

 戦後77年余が経つ今、大きな教育改革が行われたのは中曽根康弘内閣(1982―1987)時代。

 当時は、敗戦から40年近くが経ち、政治、行政、教育の領域で制度疲労が目立ち、中曽根政権は〝臨調〟(臨時行政調査会)の場で、行財政改革の道筋をつくり、改革を一気に推し進めようとしていた。キーワードは民間活力である。

 日本の活力を取り戻すとして、民間活力を引き出すという政治哲学の下、〝3公社〟の民営化を推進。日本電信電話公社はNTTに、日本専売公社はJTとなり(1985)、国鉄(日本国有鉄道)はJR各社に分割民営化された(1987)。

 中曽根内閣は教育のあり方も徹底的に見直そうと〝臨教審〟(臨時教育審議会)を設置。

「臨教審の教育改革では国際化、情報化を打ち出したんです。ところが、その方向性とは別に、ゆとり教育が出てきた。これは(本来のあるべき改革の姿から見ると)大きな間違いだったと思う」と渡邉氏。

 全体の教育のあり方を根本から見つめ直そうという時に、単純にカリキュラムの3割カットということになってしまった。

〝ゆとり教育〟を有馬朗人氏(元東京大学総長、理化学研究所理事長、文部大臣などを歴任、故人)なども推進した。「碩学の人が言い出したから…」と異論はあまり出ずに、ゆとり教育の流れが出来た。一定の期間が過ぎて、遠山敦子・文科大臣(小泉純一郎内閣時、2001年―2003年在任)の時に見直しが入った。

 このゆとり教育見直しの際、教育基本法改正が登場(2006)という経緯。

生涯学習の考えが登場、そしてリカレントへ


「教育基本法の改正が出た時に、生涯学習が入った。この生涯学習という概念が生まれてから、リカレントという概念が登場してきました。学び直しです。これは人生百年時代というのと重なっていて、より重要だと捉えられていますね」

 渡邉氏はリカレント教育という考え方が生まれてきた時代背景をこう説明し、「ところが」と次のように続ける。

「このリカレントというのは、個人ベースの学び直しと受け止められるような出方だったので、産業界との関係でのリカレントには、どうしても成り得なかった。実際、リカレント習熟者というのは増えていない。それは個人ベースだったからだと思うんです」

 そうこうしているうち、産業構造が激しく変化する。産業を支え、社会を支えるのは「人」。その人づくりを担う教育のあり方も変えていかなければという認識が強まっていく。

 そして、『令和の世』を迎える(2019)。「全ての子供たちの可能性を引き出す」ことを謳う『令和の日本型学校教育』の答申が中教審から出される。

 例えば、GIGAスクール構想もその1つ。GIGAとはGlobal and Innovation Gateway for All(全ての児童・生徒のための世界につながる革新的な扉)の略。

 インターネットが産業活動の中に組み込まれ、人々の消費行動をはじめ生活全般にも浸透している中、そうした社会の仕組みを知るために、生徒1人ひとりにデバイスを提供。そのためには学校内のICT(情報通信技術)化を進めよう─というGIGAスクール計画である。

 教育を変えるには、教える側、つまり先生の意識も変えなくてはいけない。学校教育のあり方を根本から見直そうという今回の教育改革である。

「これが第3期の教育振興基本計画期間なんですが、第3期に出たソサエティ5.0フォーSDGsの未来志向型というのは、これでほぼ出揃ったので、これを踏まえて、来年から次の教育振興基本計画をまとめようと。これは2023年度中にはまとめられると思います」

 渡邉氏は、「これで新しい未来志向型の教育改革ができます」という見方を示す。

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