2022-07-21

【水素、医薬でも注目】千代田化工会長兼社長・榊田雅和はいかに新領域を開拓するか?

榊田雅和・千代田化工建設会長兼社長



「脱炭素」の流れの中、LNGはどうなる?


 地政学リスクはあるが、それでも世界の大きな流れは「脱炭素」に向けて動いている。LNGは石油や石炭に比べればCO2の排出量が少ないエネルギーだが、水素などが本格活用されるまでのトランジション(移行期)の資源だとする見方もある。榊田氏はLNGの今後をどう見ているのか。

「今、トランジションエネルギーの重要性が再認識されている。我々はLNGに関するビジネスをしっかり続けていく方針。ただ、そのやり方、リスクの取り方については考えていく必要がある」

 LNG需要の今後については、アジア諸国での需要が伸びることを見込まれており、「一定期間は増えていくと見ている」と榊田氏。業界では2040年頃までは年平均3%程度の需要増が見込まれている。

 ただ、同時に前述の脱炭素によって、水素やアンモニアといったCO2を排出しない燃料に置き換わることで、どこかで需要の伸びが頭打ちになるとも見られている。LNGを主力とする千代田化工としては、新たな事業の柱を立てる必要がある。

「22年4月には『カーボンニュートラル宣言』を出した。やはり新規事業をやっていくことが、会社の企業価値、株価を高め、投資家からの目線を変えることにつながる」

 千代田化工が注力すべき分野として掲げているのが「水素」と「ライフサイエンス」。

 水素は脱炭素時代の有力なエネルギー源として期待されている。ただ、これをどう輸送・貯蔵するかという大きな課題を抱えている。

 この対策として、マイナス253度以下に冷却する「液化水素」を提唱する企業もあるが、専用の設備や冷却のためのエネルギーが必要。一方、千代田化工は独自技術「有機ケミカルハイドライド法」を開発。水素とトルエンを合成し、メチルシクロヘキサン(MCH)という液体にして輸送・貯蔵するという手法。MCHは常温・常圧で取り扱えるため、既存のインフラを活用できるという利点がある。

 さらに、利用する際には触媒を利用して水素を取り出すが、千代田化工はこの一連の仕組みを「SPERA(スペラ)水素」と命名。21年にはブルネイで水素をMCHにして、日本に輸送する実証実験を終えた。「SPERA水素でサプライチェーンを構築できる可能性を持つことが当社の強み」と榊田氏。

 今後は、これをいかに商用段階に持っていくかが問われるが、すでに商用化一歩手前まで持っていきたいという前向きな顧客も出てきている。ただ、千代田化工のみならず、水素関連事業はコストが課題。その意味で、政府による支援を得られるかもカギを握る。

 もう一つの注力分野であるライフサイエンスでは、医薬分野に取り組んでいる。千代田化工は塩野義製薬からコロナワクチンの原薬工場を受注、建設している他、バイオ医薬品工場の建設なども手掛けている。

 日本は、このコロナ禍にあって、自国でワクチンを製造できないという課題を抱えてきた。製薬会社の規模の違いや、産官学の技術の蓄積、治験体制などが指摘されてきたが、法整備などもあって、日本でもようやく「経済安全保障」という考え方が広がりつつある。

「パンデミック、戦争を受けて、やはり命に関わる分野は他国に頼るのではなく、自国で一定程度保有しておかなければいけないという考えが広まった。政府もそうした方針になっており、ライフサイエンスの分野でも補助金が付く案件が増えている。お客様も設備投資をしやすくなっているため、向こう数年、ライフサイエンス分野は期待できる」(榊田氏)

 医薬品プラントの建設には、これまでLNGや化学プラントで培ったノウハウが生きている。「我々には化学プラントのプロセスの知識がある。それをより精密、小型化したのが医薬品プラント。技術を生かせる分野」

 水素という次のエネルギー、そして医薬品などライフサイエンスという、いずれも「安全保障」に関わる分野が、千代田化工の次の成長のカギを握る。

 千代田化工の経営理念は「エネルギーと環境の調和」。これをベースに「技術で世の中に貢献する会社を目指したい。そして働いている社員が、自分の技術で社会に貢献していると思える仕事ができる会社でありたい」と榊田氏は言う。

 そのためには、今後ますます人材育成が重要になる。新卒採用のみならず、経験を持った人材の中途採用にも力を入れる。

「外部からの優秀な人材の獲得は重要になってくるし、当社だけでできない仕事においてはパートナーと組むことも大事」

トップを1人にして意思決定を速く


 榊田氏は1958年11月秋田県生まれ。81年東京大学工学部卒業後、三菱商事入社。小学校、中学校と野球に打ち込んだが、高校では家庭の事情もあって現役で大学に合格せねばと勉強に専念。大学入学後に晴れて野球部に入部した。「4年間、合宿生活で野球に打ち込みました。『学部はどこですか? 』と聞かれたら『野球部です』と言っています(笑)」と笑顔を見せる。

 三菱商事を志望したのは「体力には自信があったし、海外など、ポテンシャルの高い仕事ができそうだと感じた」から。入社後には機械部門に配属になり、特に製鉄プラントの経験が長い。

 入社前に榊田氏が描いていたように、海外では様々な経験をした。20代後半で韓国の製鉄所の建設に携わり、管理業務全般を任せされた他、30代半ばには中国・宝山製鉄の案件をプロジェクトマネージャーとして手掛けた。日本との関係が微妙な両国で、様々な関係者がいる中でプロジェクトをまとめあげた。

 13年から4年間はインド現地法人社長を務めた。プロジェクトの推進のみならず、インド日本商工会会長としてモディ首相を始め現地の政治家や、日本から来印する政治家との対話なども経験した。

 三菱商事では13年執行役員、17年代表取締役常務執行役員まで務め、21年に千代田化工会長兼CEO(最高経営責任者)、22年4月に会長兼社長に就いたという経緯。

 会長と社長を兼務していることについて榊田氏は「再生計画に目処が付き、ガバナンス体制も整ってきた。トップを1人にして意思決定を速くした方がいいと考えた」と話す。

「会社はいい方向に向かっているが、まだ財務体質が弱い。また19年3月期の赤字で東証1部から2部に降格し(現在はスタンダード市場に上場)、株主に配当もできていないのが現状。早く利益を積み上げて財務体質を強化し、早く配当できるようにしたい。そしてプライム市場に上場しようということを社員にも訴えている」(榊田氏)

 課題だったリスク管理能力の強化が進む今、あとは従来から定評のあった技術力を生かしてプロジェクトを成功させることができるかが問われる。そして「生活に欠かせない事業」を柱として確立できるかが、千代田化工の今後を大きく左右することになる。

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