2024-02-22

【政界】岸田派解散に他派閥も追随して大変動の予兆 「政治とカネ」でさらに問われる首相の指導力

イラスト・山田紳

自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件を受けて、首相・岸田文雄は伝統派閥・宏池会(岸田派)の解散に踏み切った。多くの派閥や党内グループも追随し、党内力学には大変動の予兆ものぞく。その一方で「政治とカネ」に端を発した政権の危機は続き、与野党双方が国民の強い不信を払拭する方策を問われている。しかもそれを、経済回復や能登半島地震からの復興などの諸課題と並行して成し遂げなければならない。また一つ重荷を背負った岸田は、これまで以上に政権トップとして手腕を試される。

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群れずにいられない

 自民党の派閥という存在は、根が深い。政党に限らず、企業など人が集まるところには「群れ」ができやすく、勢力争いを繰り広げるのもよくある話だ。自民党は例えば「軽武装・経済重視」「憲法改正重視」といったように、総裁派閥の伸長が政策の方向性をある程度左右する。そしてある政権が倒れても、党内の非主流派などがそれに取って代わり、国民に刷新感を示す。この疑似政権交代により自民党は政権を維持してきた。

 そして、各派閥が所属議員に対して求心力を失わないための材料が「カネとポスト」の配分であり、だからこそそれに注力する。「派閥は必要悪だ」と公言してはばからない派閥領袖らも少なくなかった。

 一方、金権政治や「コップの中」の権力闘争による弊害が批判される度に、自民党はその解決策として「派閥解消」を繰り返し掲げた歴史がある。しかし、それでも派閥は「政策集団」などに衣替えして結束と資金力を保ち、ほとぼりが冷めれば完全復活を遂げた。事実上、派閥解消は戦後一度も果たされていないと言っても過言ではない。

 岸田自身も党総裁になる以前から、伝統派閥の「宏池会」を背負うことへの自負をしばしば表明してきた。1990年代、一時下野した自民党内で派閥解消が叫ばれたことから、宏池会が政策集団「木曜研究会」へ看板を掛け替えた時期があった。

 岸田は、元首相・安倍晋三や共産党前委員長・志位和夫らと同じ1993年衆院選で初当選している。99年、宏池会が当時の会長・加藤紘一のもとで本来の名を取り戻した出来事も記憶しているだろう。

 その岸田が今年1月18日、「宏池会の解散を検討している」と表明した。自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件で、宏池会の会計責任者も立件されるとの見通しが報じられたことがきっかけだ。

 政治改革のメニューを検討していた岸田だが、その前日まで現実的に考えていたのは「党役員らの派閥離脱」などだったとされる。東京地検特捜部が捜査していたパーティー券収入のキックバック(還流)は、主に「安倍派と二階派のせいだ」(他派閥議員)と目されていた。

 ところが、岸田派も立件の見通しとなったことで、当事者の岸田が今後、政治改革を推し進めても説得力を欠く恐れが出てきた。総裁派閥が立件されることの重大性も、解散の決断へ岸田を突き動かした。

 副総裁・麻生太郎ら政権の重鎮たちにも相談せずに決まった宏池会の解散は、自民党内から「窮地の岸田さんが大ばくちを仕掛けてきた」と受け止められている。


主流派も動揺

 まず、元首相・安倍の死去後も岸田が配慮を余儀なくされてきた最大勢力・安倍派と、岸田に党執行部から追い落とされた恨みを秘めてきた二階派は、より「罪の軽い」岸田派が解散する以上、自分たちも解散する以外の選択肢を奪われた。

 岸田を支えてきた麻生、茂木両派も動揺した。もともと逆境にあった岸田が政権から滑り落ちたとしても、総裁の顔をすげ替えれば、麻生はキングメーカーとして力を維持できるはずであり、幹事長・茂木敏充は「ポスト岸田」の有力候補の1人とされてきた。

 麻生は「立件された者が(麻生派には)いないのに、派閥を解散するのは理屈が立たない。派閥はやめない」と岸田に伝えたが、両派からは「我々だけ派閥が残れば、国民から『抵抗勢力だ』とみなされてしまわないか」と不安の声が漏れた。

 安倍、二階、岸田の3派に続いて森山派、派閥ではないが岸田に近い谷垣グループも解散を決定した。6派のうち過半数の4派が解散し、残る麻生、茂木両派に世の風当たりが強まるのは当然の流れだった。

 内閣支持率が低迷し、9月の党総裁選までの花道論も出ていた岸田が、党内の主流派、非主流派双方の動きを縛り、生き残りを賭ける一手を打った形だ。

 麻生派は表向き平静を保ったが、派閥への規制を強める動きに対し「麻生さんはぶぜんとしている。岸田さんと和解したが、納得はしていない」(自民関係者)との声が聞かれた。もちろん、派内では麻生に同調する声が大勢だが、ベテランの衆院議員・岩屋毅が派閥離脱を表明するなど、不安の兆しもある。

 茂木派はさらに混乱した。茂木の潜在的なライバルと目される選対委員長・小渕優子が派を脱退し、参院議員の青木一彦らが続いたのだ。青木の父・幹雄は小渕の父恵三を官房長官として支え、その後「参院のドン」として君臨したことが想起され、「双方の跡継ぎが行動を共にした」(自民関係者)とみなされた。

 茂木との不仲を隠していない自民の参院議員会長・関口昌一らも「役職にある者だから」と口実を作り、派を離脱することになった。茂木は政治団体を存続させつつ、派閥を政策集団に移行して乗り切る構えだ。

 岸田が総裁就任時に導入したルールにより、茂木は秋以降、幹事長の役職を続投できない。「次」に向けた重要な時期にもかかわらず、自派の数を減らしたうえ、「新たな平成研」とも言うべき小渕らの勢力に脅かされる可能性が出てきた。

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