2024-02-21

【倉本 聰:富良野風話】凄むなよォ

写真を撮られるのがきらいである。

【倉本 聰:富良野風話】生物多様性

 その時、その時間の心の動きを、フイルムの中に固定されてしまうからである。

 たとえばカメラマンが笑って下さい、という。何がおかしくて笑うンだ!と思う。ムッとしたその思いがフイルムの中に固定されてしまう。カシャッ。不愉快であるし、不本意である。

 同様、僕らは数多の顔にマスコミを通してお目にかかる。そしてその顔がその人の第一印象となる。いい人らしい。イヤな奴だ。善人らしい。こいつはどうして喰わせもんだ!

 永年テレビの世界にいてオーディションなどで無数の顔と対面させられていると、幾百、幾千の人間の顔とその表情に遭遇する。それを何十年くり返していると一見しただけで、その人の人間を見透かす術を身につけてくる。勿論、見誤る場合も多々あるが、大体において第一印象は当たる。

 選挙の前の政治家の顔と、選挙の後の政治家の顔では、表情筋の使い方がまるでちがうし、前と後、2枚の写真を並べて見るだけで、その人の人格・政治姿勢、あるいは気立てまで透視できてしまうから、恐ろしい。

 近頃よくお目にかかる政治家の顔では、記者会見で記者に向かって「頭悪いネェ」と居丈高に凄まれ、ヒンシュクを買った長崎の議員。あんな悪相は久しぶりに見た、と見るのもイヤになっていたのだが、何度か見るうちにこの人は意外と善人で、ごく正直に物を言っていたら、いつのまにかああいう人格だと定着してしまったのではあるまいか。家ではとっても好いおじいちゃんで、世間が思うようなイヤなジジィとは全くちがう好々爺なんじゃないかと考え直す気になってきたりする。

 いや、それより本当にもっと悪いのは、ずっと上にいる偉い方々で、ホラ見ろ議員席で何もなかったように、肩を叩き合って高笑いしているじゃないか。こっちの眼力まで自信をなくさせるような不思議な行動をとっておられるのだ。

 近頃また外務大臣をオバサンと言ったり、容姿のことに触れてみたり、問題発言を連発している一見ヤクザ風な派閥の領袖。こういう人物を何となくみんなが恐れてしまうのは、金の力と暴力の匂いをマスコミまでが嗅ぎとってしまい、触れぬが勝ちと避けてしまうからではあるまいか。だとすれば「公僕」としての自己演出を誤っており、早く周囲が本人に、そのあやまちに気づかせてやらねばいけない。もしかしたら本人には、そんな意図など毫もなく、気の良い、只の東映やくざ映画のファンだったりすることだってあるのだから。

 それにしても、と同情するのは、ブラックユーモアというものの本質とむずかしさを、日本人が中々学習できないでいることで、その点、本物の稼業の方たちは流石、見事にそのTPOを身につけておられる。そこらが彼我の格のちがいでもあろう。

 真似は笑えるが、やりすぎると吉本の三流芸人になる。

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