2023-11-09

伊藤園会長・本庄八郎氏「『お~いお茶』を世界共通言語に、お茶の魅力を世界へ発信していく」

本庄八郎・伊藤園会長

お茶という日本古来の飲み物を缶入り、さらにはボトル入りで飲料化。オフィスや町中でも自由に手にすることができるようにしたのは、伊藤園。いわゆるお茶ビジネスの〝進化〟である。緑茶飲料最大手として国内市場をけん引し、最近は海外でも〝Green Tea〟として人気を呼ぶ。今後海外市場の展開をどう進めていくのか、また、コロナ禍を経て、少子高齢化の人口構造変化の中で、健康需要を取り込んだ商品開発をどう進めていくのか聞いてみた。


創業時はゼロからの新規開拓

 ─ 伊藤園は茶葉製品、緑茶飲料の最大手として緑茶市場を成長させ、また近年はコーヒーや野菜飲料なども手掛け総合飲料メーカーとしての道を歩いていますね。創業1964年(昭和39年)から59年経ちましたが今の心境はどうですか。

 本庄 本当にあっという間。気がついたら60年近くが経ったという感じです。

 ─ 創業時の1964年というと、第一回東京オリンピックが開催された年ですね。高度成長真っただ中での起業ですがどういう気持ちで働いていましたか。

 本庄 当時オリンピックどころではなく、毎日仕事に明け暮れていました。その時私は24歳で、まだ大学を出て2年目くらいの頃でした。とにかく生き延びようと稼ぐことに必死の日々でした。

 でも、働けば必ず手応えがありましたから、あの頃は仕事がとにかく楽しかったですね。毎日お客様の新規開拓で飛び回っていました。

 ─ 6つ違いのお兄さん(本庄正則氏)との起業でしたね。

 本庄 はい。最初は日本ファミリーサービスという会社で調味料を中心とした食料品を家庭に置いてもらい、定期的に訪問して使用した分だけの料金を集めてまた補充する、伝統的な「富山の薬売り」方式の事業を始めました。

 ─ 調味料などの販売を始め、その二年後に茶葉に特化した事業に転換されるわけですが、お茶の仕入れはどのようにしていたのですか。

 本庄 当時取引のあった一次問屋に「釜邦」という会社が東京・上野にありました。わたしどもはその会社から商品であるお茶を仕入れていたのです。

 そこのオーナーがご高齢だったということもあって、ある時、暖簾を買い取ることになりました。その暖簾が「伊藤園」だったのです。明治から続く歴史ある店で、先方にも後継ぎができたと喜んでもらえました。わたしどもの社名が伊藤園となったのも、この時からです。音の響きは〝本庄園〟より〝伊藤園〟の方がいいですからね。

 ─ 食料品全般からお茶に特化していったのは、事業として将来性があると思われたからですか。

 本庄 はい。日本ファミリーサービスが販売する食料品のなかで、お茶は日常的に消費されるものであり、他の食料品より回転がよく、粗利益率も一番高い商品でした。その消費動向と利益に注目したのです。

 ─ そうした利益構造もあってということですが、そのビジネスチャンスは偶然の出会いだったと。

 本庄 はい。偶然のご縁があってお茶屋をやることになりました。しかし、何の考えもなくやる商売は失敗しますからね。ある程度、これはいける、という確信がありました。

 ─ 茶葉は鮮度を保つためには保管が難しいと聞きます。この課題にはどんな工夫をされていたのですか。

 本庄 茶葉の品質を保つためには湿気を防がなければなりません。それまでの茶葉は和紙に包むのが一般的でしたが、和紙は水気、湿気を吸うので茶葉も湿気を帯び品質は3日も持ちません。

 そこで、包装容器の開発に取り組み、お茶の鮮度を維持できる真空パック入りの商品を開発しました。これにより、お茶の鮮度を維持した商品を提供できるようになりました。

 ─ どのように売り込んだのでしょうか。

 本庄 24歳の時ですから体力もあって、とにかく毎日訪問して売り込みにいきました。

 スーパーマーケットの開店時間に合わせて毎日行っていました。あまりにも毎日来るものだから、あるお店ではついに机まで用意してくれるようになりました(笑)。

 ─ やはり一生懸命仕事をしていると相手も認めてくれる。

 本庄 そうですね。店頭で試飲販売させてもらって、実際の商品を見てもらって、これですよというのを消費者に売り込んでいきました。

 動けば動くほど売上が上がった時代ですからね。毎日の新規開拓の甲斐あって、5年で業界一の売上になりました。

 ─ その後、それまで屋内で急須を使って飲まれていたお茶を、いつでもどこでも飲むことができる缶飲料として出されましたね。

 本庄 はい、そうです。

 ─ お客さんの反応はどうでしたか。

 本庄 実は、反応はあまりよくなく苦戦しました。お客さんは、お茶は急須で淹れるのが一般的だと思っているので、缶入りの飲料は受け入れてもらうのに苦労しました。店頭でお客さんに丁寧に説明してやっと認知してもらえる、という感じでしたね。

 ─ やはり新しいことをやる時は抵抗があるということですね。缶入りのお茶の商談は、順調だったのでしょうか。

 本庄 苦戦しましたね。量り売りだったお茶を、真空パックという包装形態にして売るということも新しい試みだったのですが、当時はちょうど西友やダイエー、イトーヨーカドーといったスーパーマーケットが台頭してきた時期でしたので、品質が担保されている真空パックのお茶は、多くのスーパーマーケットが受け入れてくださり、店頭に並ばせることができました。

 しかし、飲料化したお茶は、そううまくはいきませんでした。何度も商談を重ね新規開拓もしましたが、最初はどこもなかなかオッケーと言ってくれませんでした。当時はまだ、お茶は急須で淹れるのが一般的でしたからね。

 ─ 現在では、多く拠点があり、どこのお店にも飲料化したお茶が並んでいますよね。

 本庄 そうですね。われわれはまずスーパーマーケット業態を徹底的に新規開拓していきました。今は伊藤園の商品をほとんどのスーパーで置いていただいております。

 ─ まず販路を獲得したと。

 本庄 はい。それと、お茶というと家庭で飲むのが一般的でしたよね。そういう中で、飲料化されたお茶を飲んでもらうという文化を創りました。

 ─ 新しいお茶の飲み方を創造しましたよね。その頃の粘り強く市場を開拓していった経験が今の価値観に影響を与えていると。

 本庄 はい。とにかく足を使って、お客様に真面目に誠実に接する。これは今も伊藤園の社是で、社員全員が大切にしています。


商品の変革

 ─ そのあと、1989年には『お~いお茶』ブランドが誕生し、御社の業績は大きく伸びました。あの『お~いお茶』のCMは印象的でした。

 本庄 はい。『お~いお茶』の前身のパッケージには「煎茶」と書いてあり、1985年に販売を開始しました。しかし、この煎茶の〝煎〟が読めないというので、いまいち売れなかったですね。それを「お~いお茶」と記載したパッケージに変更してから一気に売れるようになったのです。

 ─ デザイン、ネーミングを変えることで、消費者の受け止め方が変わり、それが業績に大きく響いてくるということですね。

 本庄 それは大事な要素です。テレビCMで『お~いお茶』という、分かりやすく、イメージしやすいフレーズを使ったことをきっかけに、これをそのままブランド名に用いることにしたのです。そうしたら急に売れ始めました。

 ─ あの頃は、どの家庭でも「お茶」と言ったらご家族の方が淹れてくれた時代でしたね。

 本庄 はい。それがペットボトルになってからは、そのまま渡せばいいわけですから。会社や役所でお茶を淹れる手間が減って、会社の生産性も上がったのではないでしょうか。

 ─ そうしたお茶の飲み方を提案していかれたわけですが、飲み方を変えるということに抵抗はなかったですか。

 本庄 少しありましたけども、一番抵抗があったのはやはり最初に缶入りで飲料化に成功したウーロン茶です。

 ─ 歴史をヒモ解くと、世界初の〝缶入り煎茶〟を出したのが1985年ですが、その5年前の1980年に世界初の〝缶入りウーロン茶〟を発売していますね。

 本庄 ウーロン茶も最初は茶葉で売っていて、それを缶入りにしたというのが市場の拡大に繋がりました。

 ウーロン茶の茶葉は我々がいち早く原料を輸入していたので、市場拡大を目指して飲料を手掛けている他社にもウーロン茶葉を売り込んでいきました。しかし同時に飲料化のノウハウも教えていたので、気がついたらライバルになっていました(笑)。

 ─ 特許は取っていなかったのですか。

 本庄 はい。その辺がまだ素人でした。ですから我々は緑茶の飲料化を急ぐことにしたのです。その判断がよかったと思っています。


「お~いお茶」を共通言語に…

 ─ コロナ禍では巣ごもり需要などもありましたね。アフターコロナとなった今、これからの伊藤園はどこに向かっていきますか。

 本庄 アメリカ、東南アジア、ヨーロッパへ、健康的な無糖の緑茶を世界に広げていきます。パッケージに書かれている商品説明などは各国の言葉で記載しますが、商品名は国内販売品と同じ日本語の「お~いお茶」です。

 ─ そうすると外国の方も「お~いお茶」と言うわけですか。

 本庄 ええ。面白いでしょう(笑)。この「お~いお茶(Oi Ocha)」を世界共通言語にしていきます。

 今後も健康創造企業として、「自然」「健康」「安全」を大切にしたブランドを作っていきます。

 現在では弊社の商品は7割以上が無糖で、ヘルシーを強みにしています。健康飲料といった面では、お茶以外にも力を入れており、最近ではグルコサミンが入った炭酸水を発売しました。

 ─ 炭酸水も体にいいと言われていますね。

 本庄 はい。ここにグルコサミンという健康的な要素を掛け合わせました。グルコサミンは関節の動きをサポートすると言われています。

 高齢者だけではなく、40~50代でも、膝に違和感があるという人が増えているんです。消費者の健康をサポートする飲料として、伊藤園としても新しい試みです。

 無糖炭酸飲料市場は、ここ10年間で4倍に成長していますので、可能性を感じています。

 ─ お茶以外にもこれから新しい市場を開拓していくと。

 本庄 はい。炭酸水をはじめ、様々な需要も拾いながら、今後もお茶を中心としたあらゆるカテゴリーで、市場開拓を積極的に進めていくつもりです。

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