2023-02-15

再考 日本の安全保障戦略(最終回) 元防衛大臣・森本敏



 ─ 当時の三木武夫内閣が閣議決定したんですね。

 森本 ええ。1%枠はその後、1987年には撤廃されましたが、実際にはその後も、ほとんど1%を超えることはありませんでした(もっともバブル期に日本のGDPが減ったために、防衛費の比率が1%をごく僅かに超えたことはあります)。

 また、防衛力構想も、脅威を対象とするより、日本の必要最小限度の防衛力の基準を作るという観点から基盤的防衛力を整備するということになり、その後、これは「動的防衛力構想」、「統合機動防衛力構想」と名称は変わってきましたが、実態はほとんど変わりませんでした。

 今回の国家安全保障戦略、国家防衛戦略は、この縛りを除去するという今までにない予算編成のルールがひかれ、その中で周辺国の能力と脅威に対応するために何をどの程度装備すべきか? という発想で防衛力が作られました。また、防衛費は1%枠で縛るのではなく、2%を目標に増やしていくという発想になりました。国家として当然のことが当然のように実現したということです。

 しかし、こんなことは今までなかったことでした。浜田靖一防衛大臣のリーダーシップが見事だったと思います。それだけではなく、財務当局も、国家の防衛にとって真に必要なことをやろう、という柔軟な対応を示したこともこれを可能にしました。これがなかったら、今回の国家安全保障戦略と国家防衛戦略はできていないのです。

 戦後、やっと国として当然の対応をとる勇気と決断を示したのであり、多くの関係者、政治家、官僚、これを後押しした専門家や世論の支持に敬意を表したい。ついでながら、この点から考えると、〝必要最小限度の防衛力〟という表現は、現実になじまないので撤廃することが望ましいと思います。

 いずれにしても、われわれは文書ができると、すでにその中身が実現しているように錯覚しますが、いまだにそれは画餅であり、何も実現していないのです。今後は、これらの戦略指針を実現する方が重要な課題ですが、それは、戦略方針を策定することより、はるかに困難な仕事であることは明白です。


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