2022-09-02

【母の教え】ミライロ社長・垣内俊哉氏「母の『愛ある厳しさ』が私の人格形成、起業の礎になっている」

垣内俊哉・ミライロ社長

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「生きて欲しい」と言われ…


 高校時代の私は思春期も相まって、沸々と湧き上がる思いをどう抑えつけるかを考えていました。人と違う、歩けない、障害があることを受け入れようとして受け入れられませんでした。

 そこで、自分の道を切り開くべく手術、リハビリをしようと考え、高校1年の夏から冬にかけて、お年玉を使って大阪、広島、栃木と様々な医療機関を1人で回りました。

 そこから学校を辞めて手術を受けることを担任の先生と両親に伝えましたが、最初は反対されました。母は歩けなくてもいいから、友達との学校の時間を大切にして欲しいと考えていたと思います。それでも最後、両親は背中を押してくれました。

 しかし、大阪で手術を受けたものの、残念ながら歩けるようにはなりませんでした。その後、17歳の時に3度の自殺未遂を起こしますが果たせず、最後は泣くことしかできませんでした。

 私が追い込まれていたのは「歩きたい」という思いが強く、障害が受け入れ難かったからです。多くの人に支えてもらいながら、自分で自分のことが好きになれなかったのです。

 その時、当時付き合っていた彼女に「本当に感謝している」というメールを送ったら、察したのかすぐに電話をしてきて「生きて」と言われました。その時に家族以外からも「生きて欲しい」と願ってもらえるのかと思った時に死ぬのはやめようと。生きていれば今後、そう願ってくれる人達と出会えるかもしれないと思い直しました。

 実際、大学で出会って一緒に起業した民野剛郎(ミライロ副社長)を始め、数え切れないほどの人達と出会うことができ、改めて「人」に支えられていることを実感できたのです。

 高校を辞める時、起業をする時など、いろいろ思うことはあったと思いますが、母が私を信じて決断を委ねてくれたことは、私自身を成長させる機会になったと感謝しています。

 実家に帰ると、私が取材を受けた新聞や雑誌が山ほど置いてありますし、出演したテレビ番組が録画してありますから、喜んでくれているのだと思います。

 私は「歩けないからできることもある」という一つの解に行き着いたからこそ、ミライロを生み出せたのだと思います。障害がある子供を持つご家族に、ミライロがあるから子供の将来も安心できると思ってもらえるような存在になることを目標にしています。

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