2024-02-08

日本郵船社長・曽我貴也「安全輸送の強みを生かし、脱炭素や洋上風力なども推進。グループの財産である『人』のモチベーションアップを」

曽我貴也・日本郵船社長



日本の造船業復活に向けて

 ─ 飛鳥Ⅲはドイツの造船所で建造中ということですが、かつて日本の造船業は世界一でした。しかし、今は韓国や中国に後れを取っています。日本の造船業の復活にどう寄与していこうと考えていますか。

 曽我 当社は22年10月から東京大学と「海事デジタルエンジニアリング」に関する社会連携講座を開講しました。この講座では船を造る、船を運航することに対する新しいシミュレーション技術などの開発に向けて造船所や船舶用機器のメーカーなどと一緒になって取り組んでいます。これによって、日本が持っている潜在性のある技術力をしっかり作っていこうよと。

 この音頭を日本郵船や当社の技術開発研究を担うグループ会社のMTIでとっています。自動車産業で導入が進むモデルベース開発を活用して、複雑な船の設計でも迅速に最適化が図られるような研究も進めています。こういった取り組みを通じて日本の海事クラスターを、もっと目に見える形で盛り上げていきたいと思っています。

 ─ 24年は人手不足問題が全産業の課題になります。

 曽我 そうですね。海運業界で言えば、国内を運航する内航船で影響が出てきそうです。当社グループには内航に関わる事業をやっている会社がいくつかあります。そこでは本当になり手がいない大変な状況です。

「2024年問題」と言われてトラック運転手の不足がクローズアップされ、その代わりに内航を増やして対応しようという声もありますが、内航も実は人手不足の状況になっているのです。それはこの問題が叫ばれる前から起きています。ここをどう解決していくかは1企業では解決できません。政府を含めて産業界全体で考えていかなければならないと思います。


大学時代のゼミは「海上保険」

 ─ 社会全体での対応になりますね。さて、曽我さんは一橋大学の出身ですが、なぜ船会社を志望したのですか。

 曽我 私が所属していた商学部のゼミが海上保険のゼミでした。1980年代前半は海上保険のゼミはとても人気で、損害保険会社が常に就職希望ランキングで1位でした。ですから、このゼミも競争率が高くて入るのは大変でした。その中で海上保険を勉強すれば、当然、船会社の存在も知ることになりました。

 同じゼミでも優秀な人たちは損保に就職。私はあまり優秀ではなかったので(笑)。そもそも、損保を含めた金融業界はおそらく自分の肌に合わないなと思っていました。それで海運会社を調べたら、極めて扱う貨物も幅広い。何よりも目に見える実物を扱っています。

 目に見えないお金や保険ではなく、実物を扱い、それを世界中の人々に届けることによって、世界中の人々の暮らしを支えていると。そういった人々の生活を守るという部分に大きな意義を感じました。そして日本郵船への入社を希望しました。

 ─ そこに使命感を感じたのですね。

 曽我 ええ。それからもう1つは世界中で働きたいという思いもありました。ですから、商社も考えていました。当時の船会社は主要な港が駐在地でした。例えば、シンガポールやロンドン、サンフランシスコ、シアトルなどです。あまり僻地のような場所がなかったのです(笑)。

 お陰様で入社後はシンガポールやロンドン、バンコクと3カ所に駐在させていただきました。ロンドン駐在時は欧州大陸に何度も出張していました。ハンブルクやアントワープ、モスクワ、サンクトペテルブルグなどです。

 欧州のコンテナ船事業の元締めの業務を担当していたのですが、その際に、船の運営や航路の運営に加えて、その付加価値・サービスを、どうやって船のサービスに結びつけるかといった業務もありました。

 それこそアムステルダムからポーランド方面に鉄道を走らせたりもしました。船会社プラスアルファのような仕事がずいぶんありましたので、私の印象に強く残っていますね。海外での経験は私にとっては大きな糧になりましたね。

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