2023-04-10

【政界】政権運営に自信深める岸田首相 解散風は本音か与党の引き締めか

イラスト・山田紳

首相の岸田文雄が政権運営に自信を深めている。難題とみられていた日銀正副総裁人事への評価はおおむね良好で、すんなり国会の同意を取りつけた。2023年度当初予算も波乱なく成立。外交面では冷え込んでいた日韓関係を好転させたのに続き、ウクライナを極秘訪問した。内閣支持率は軒並み上昇し、与党内では早期の衆院解散がささやかれる。しかし、足元には不気味な金融危機が押し寄せ始めた。政治ゲームにうつつを抜かしている時ではない。

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秘策はオムライス

「たいへん楽しいお酒を飲ませていただいた。個人的なことを含めて、お互いの信頼関係を深める意味で有意義な会話をさせていただいた」

 3月17日の記者会見で、韓国大統領の尹錫悦との前日の夕食会について問われた岸田は思わず笑みを浮かべた。

 首脳会談を終えた岸田と尹は東京・銀座のすき焼き店「吉澤」と洋食屋「煉瓦亭」をはしごした。外国首脳との会食で2次会までセットするのは異例だ。煉瓦亭で振る舞ったのは尹が日本の「思い出の味」だというオムライス。雪解けをアピールしたい岸田の演出だった。両首脳はビールや焼酎で歓談した。

 これに先立ち韓国政府は6日、日韓間で懸案になっていた元徴用工訴訟の解決策を発表した。元徴用工への賠償を命じられた被告の日本企業に代わって、韓国政府傘下の財団が賠償金相当額を支払うという内容で、岸田はすぐに「日韓関係を健全な関係に戻すためのものとして評価する」と呼応した。

 ただ、岸田には苦い経験がある。慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した2015年の日韓合意が前大統領の文在寅によって事実上ほごにされた件だ。合意時の外相はほかならぬ岸田。今回の措置を評価したのは岸田の思い切った政治決断だった。

 少なくとも外務省には韓国側への警戒感があった。尹の接遇は国家元首らの公式訪問としては最も簡素な実務訪問賓客。同省幹部は尹の来日直前まで「夕食会は首相公邸で粛々と行う」と語っていた。首相官邸が同省を押し切って銀座のはしごを実現させた模様だ。

 そこには影の立役者がいた。自民党副総裁の麻生太郎だ。麻生は昨年11月に訪韓し、尹と面会している。日韓首脳会談当日、麻生は当時のエピソードを派閥の会合で披露した。

「去年の11月にお目にかかったときに、大統領から、日本に行ってうまかったものはオムライスだという話が出た。今はもうちょっとうまいもんがありますよと申し上げた」

 それを聞いた麻生派の面々は大笑い。冗談めかしてはいたが、麻生の発言には日韓首脳会談を地ならししたという自負がにじんでいた。


トリで「電撃」訪問

 日韓首脳は打ち解けた雰囲気を醸し出そうと努めたものの、関係改善はまだ緒に就いたばかりだ。

 元徴用工を含む個人や国の請求権問題は1965年の国交正常化に伴う日韓請求権協定で解決済みというのが日本政府の立場。先述したように韓国政府傘下の財団が賠償を肩代わりする案は尹政権の苦肉の策で、韓国国内では原告の元徴用工や野党から批判が出ている。

 日本側には、財団が後で日本企業に費用の返還を求める求償権を行使するのではないかという懸念が残っている。尹は首脳会談後の岸田との共同記者会見で「もし求償権が行使される場合、すべての問題がスタート地点に戻ってしまう。韓国政府はまったく行使を想定していない」と説明し、岸田も同調した。政府高官は「今は求償権の問題を詰めても仕方がない」と述べ、「想定していない」は両政府がぎりぎりで折り合った線だと示唆した。

 日韓両政府が急速に歩み寄った背景には、東アジアの厳しい安全保障環境がある。首脳会談当日も北朝鮮は大陸間弾道ミサイル(ICBM)級の弾道ミサイル1発を発射した。一方で中国はロシアとの連携を強めている。

 日韓首脳は外務・防衛当局による日韓安全保障対話を約5年ぶりに再開させることで合意した。会談後間もなく、韓国政府は文政権時代の2019年に破棄を通告した日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を正常化させた。

 朝日新聞が3月18、19両日に実施した世論調査によると、日韓首脳会談を「評価する」との回答は63%で、「評価しない」の21%を大きく上回った。両日の毎日新聞の調査では日韓関係の改善に「期待する」が64%、「期待しない」が28%だった。外交上の成果は内閣支持率を押し上げた。

 米国も日韓関係の進展を歓迎している。岸田は20日、訪問先のインドで、5月に広島で開催する主要7カ国首脳会議(G7サミット)に韓国、インド、オーストラリアなど8カ国の首脳を招待すると表明した。サミットに合わせて日米韓首脳会談が開かれる可能性が出ている。

 それだけではない。岸田はインドからポーランドを経由してウクライナの首都キーウ(キエフ)に入り、大統領のゼレンスキーと21日に会談した。インドへの同行記者団には事前にまったく知らせていなかった。

 G7首脳が相次いでウクライナを訪れる中、岸田はただ一人取り残された形になり、ある自民党幹部は「本人は訪問に意欲的だが、なかなかハードルが高い」とこぼしていた。23年度当初予算案の参院本会議での採決まで1週間程度の余裕があった今回の訪印は、いわば絶好のチャンスだった。

 そこはメディアも織り込み済みで、インドからポーランドに移動した岸田と政府関係者がウクライナに向かう列車に乗り込む様子を、NHKなどが映像に収めた。それが21日昼に報じられる直前、公明党代表の山口那津男は岸田から電話で「これからウクライナに行き、ゼレンスキー大統領と会談してきます。国会日程には影響しないよう帰国します」と報告を受けたという。

 2月にキーウに到着するまで情報管理を徹底した米大統領のバイデンと比べると、岸田の行動は「電撃」性が薄いものの、G7議長国のメンツは保った。

 岸田とゼレンスキーは会談後、並んで記者会見し、岸田は「今回の訪問を通じて、法の支配に基づく国際秩序を守るためリーダーシップを発揮する決意を新たにした。広島サミットでG7として一致した明確なメッセージを発することができるよう準備を進めたい」と強調した。


「かなりしたたかだ」

 自身の地元でのG7サミットに向けて、外交面で着々と布石を打つ岸田。そうなると、サミット後に衆院解散・総選挙という臆測が広がるのも無理はない。4月23日の統一地方選後半戦の投開票に合わせた衆院選さえ取りざたされた。

 根拠がないわけではない。岸田は成果を急いでいるように映るからだ。

 3月15日、自民党政調会長の萩生田光一、公明党幹事長の石井啓一と首相官邸で個別に会談した岸田は、物価高の追加対策として、低所得世帯に一律3万円、低所得の子育て世帯に子ども1人当たり5万円の給付を検討する考えを伝えた。

 しかも、追加対策は22年度予算の予備費(2兆円超)でまかなう。新たに補正予算案を編成せずスピードを重視した点にも、選挙対策の思惑が透ける。

 この日は主要企業の春闘の集中回答日でもあった。自動車大手8社が労働組合の要求に満額回答するなど、年頭の記者会見で物価上昇率を超える賃上げの実現を訴えた岸田には追い風が吹いている。

 その夜、岸田が自民党本部事務総長の元宿仁と東京都内で会食したことも党内をざわつかせた。閣僚経験者は「岸田はかなりしたたかだ」と舌を巻く。

 4月23日には統一地方選だけでなく衆参両院の計5補選が予定されている。野党の準備不足もあって自民党では当初、楽観論が出ていたが、複数の選挙区で実は苦戦していることが判明した。結果次第では岸田の政権運営に影響しかねないため、解散して衆院4補選を飛ばし、次期衆院選から適用される「10増10減」の新区割りのもと全国一斉で勝負をかける─というのが「23日衆院選」のミソだ。

 自民、公明両党は10増える小選挙区の配分を巡ってさや当てを展開し、選挙協力のほころびが懸念されている。本当に解散が近いなら「休戦」して妥結に向かうだろう。

 最大の狙いは日本維新の会対策だ。維新は統一地方選で地方議員を今の400人規模から600人規模に増やすことを目標に掲げ、次期衆院選の足場固めを狙う。各地で地盤を侵食されそうな立憲民主党は戦々恐々だ。一部の知事選や補選では維新の善戦が伝えられ、自民党もうかうかできない。


政略のメリットは?

 衆院をいつ解散するかは岸田の首相再選戦略と密接に絡む。岸田に近い自民党議員は「今、衆院選をしても勝つだろうが、岸田にはあまりメリットがない」と語る。総裁選は来年9月で、勝利の効果が1年以上続く保証はないからだ。もとより「補選で負けたくないから解散」が岸田の本音なら、解散権乱用のそしりは免れない。

 岸田にしてみれば、解散があるかもしれないと思わせるだけで与党を引き締める効果は見込める。最近の解散風はむしろこちらではないか。

 岸田は3月17日の記者会見で、政府が検討中の「次元の異なる少子化対策」を説明した。政府は将来の子ども予算倍増に向けた財源を6月までに示す。防衛費増額のための1兆円の増税についても年内に詳細を決めなければならない。しかし、いざ衆院選となれば、与党が票にならない財源の議論を棚上げするのは目に見えている。

 政権が安定すれば自民党内で「岸田おろし」は表面化しない。そもそも衆目が一致するようなポスト岸田候補が見当たらないのだから、わざわざ岸田から策を弄する必要もないだろう。内外の課題に着実に答えを出し、その後で国民に真を問うという正攻法を選んでこそ、長期政権への道は開ける。果たして岸田はどう出るか。(敬称略)

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