発祥の地・延岡を出て40年今、思うこと 工藤氏は1959年(昭和34年)6月生まれ。旭化成発祥の地、宮崎県延岡市の出身。1982年(昭和57年)慶應義塾大学法学部を卒業して社会人になるとき、某大手商社と旭化成の2社に内定をもらったが、「旭化成のことを無条件に受け入れている自分があった」という。
繊維本部に配属され、以後、一貫して繊維畑を歩く。
関連会社の『旭化成テキスタイル』にも在籍。これは原糸だけの事業では収益も薄く、もっと事業に付加価値を付けようと、繊維の加工分野にまで進出しようとして作られた会社。同業の東レやクラレなども同様の会社を設立。工藤氏はここで貿易業務にタッチ、「ものすごく働かされましたね(笑)」と振り返る。
貿易業務では中東のサウジアラビアやUAE(アラブ首長国連邦)などの地域を担当。文化や価値観の違いも含めて、あれこれ考えさせられた。学んだことも多い。
「海外というのは、マクロで見ることができるわけですよね。国内で言うと、やはり商売の量が少ないですからね。海外は、仕事の単位が大きい。自分が売ることによって工場が動いているという意識があるわけです。いわゆる稼働責任。だから若いながらも、量を売るということで、自分が工場を動かしているという感覚を感じることができたことはよかったと思います」
社長になった今、これからアジア諸国や欧米との交流について、日本はプラクティカル(現実的)な問題解決知を持っており、「日本の知を生かす好機」と語る。『伝統は守るべからず、つくるべし』─。工藤氏が大事にする言葉だが、これは大学時代の恩師から言われたものだという。
とかく、現状にアグラをかきやすいことを反省し、「自分がやらなかった、誰がやるのかと。自分が歴史をつくるのじゃないか、伝統をつくるのじゃないかと。守るといったら、今までの伝統を引き継ぐだけの話ですから。自分で何かをつくり出すというような意味合いがそこに強く入っているわけです」と工藤氏。
創業100周年を迎えて、改めて「リスクを取ってチャレンジしていく経営」を図っていくという工藤氏の思いである。
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