2021-10-14

【いまさら聞けない】SDGsはどのようにして生まれたのか? 答える人・有馬利男 元富士ゼロックス社長

有馬利男 グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパン代表理事

国連と民間企業が共に手を携えて



 ―― 有馬さんがグローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパンの代表理事をつとめて10年になりますが、この10年をどう受け止めていますか。

 有馬 最近でこそ、日本でもESG(環境・社会・企業統治)やSDGs(持続可能な開発目標)への関心が大きくなってきて、企業が熱心に取り組んでいますよね。欧州や米国の動きに比べれば、まだまだ日本の動きは遅いと思いますが、それでも、まずは関心を持つことが第一歩だと思いますので、こうした機運が高まってきたのは非常にいいことだと思います。

 そういう意味で、わたしが感心するのは、国連事務総長だったコフィー・アナンさんの先見性と言いますか、志の高さですよね。国連がSDGsを打ち出したのは2015年ですけれども、これが生まれた背景にあったのは、東西冷戦が終わった1990年代にグローバル化が一気に広がって、企業がどんどん成長していったこと。しかし、成長があった反面、児童労働や自然破壊など、悪いこともいろいろありました。

 そうした現状を見たアナンさんは、このままでは本当にダメなグローバリゼーションになると。国連だけの力ではもう限界だということで、国連と民間企業が共に手を携えて解決に向けて取り組もう、ということを訴えたのです。

 ―― アナンさんはグローバル化時代の企業活動のあり方に危機感を持っていたんですね。

 有馬 ええ。国連というのは国の集まりです。ですが、アナンさんは国の集まりだけでは限界だということで、1999年のダボス会議(世界経済フォーラム)で、企業のトップたちを前にして、「人間の顔をした健全なグローバル市場を一緒につくりましょう」という提案をしたんですね。

 それで2000年にニューヨークの国連本部で国連グローバル・コンパクトが発足し、SDGsの前身にあたる「ミレニアム開発目標(MDGs)」を打ち出しました。MはミレニアムのMで、新世紀が始まった2000年から2015年まではMDGs、それ以降はSDGsということで今日に至っています。

 ―― なるほど。そういう経緯があったんですね。

 有馬 彼がすごいと思うのは、高いビジョンを示すだけではなく、実行するための戦略を持っていたということ。MDGsとほぼ同時に作り上げたのが、UNGCと言うプラットフォームと10の行動原則、その次に、投資家に働きかけて企業を動かしていこうということで、2006年にESG投資を促進するPRIを設立しました。

 日本でも年金基金ファンドの1つであるGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)がPRIに署名して一気に広がった。アナンさんの仕掛けのもう一つは、2005年に検討を始めた「ビジネスと人権」のガイドラインです。これは2011年に国連で承認されましたが、日本でも、「人権方針」を発表する企業が増えています。このように、昨今注目を集めている、「SDGs」、「ESG」、「ビジネスと人権」そして「UNGC」は全てアナンさんにルーツのある兄弟であること、そしてそこには、「人間の顔をしたグローバル市場」と言う壮大なビジョンがあることを認識して欲しいと思います。

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