2021-09-16

【病院連携】日本病院会会長が語る「感染者数の増減に合わせてベッド数も調整する。その柔軟性が重要」

相澤孝夫・日本病院会会長(相澤病院最高経営責任者)

あいざわ・たかお
1947年長野県松本市生まれ。73年東京慈恵会医科大学卒業後、信州大学医学部附属病院勤務(内科学第二講座)を経て、88年社会福祉法人恵清会理事長。94年特定医療法人慈泉会 相澤病院理事長・院長就任。2008年社会医療法人財団 慈泉会相澤病院理事長・院長。17年に院長を退任し、現在は社会医療法人財団慈泉会理事長、相澤病院最高経営責任者。同年日本病院会会長。

「昭和の時代のように、大勢の人が工場で同じ仕事をしていたときと今は全然違う。これを早く変えないと、日本は世界一立ち遅れた国になってしまう」と警鐘を鳴らすのは日本病院会会長で長野県松本市にある相澤病院の最高経営責任者・相澤孝夫氏。相澤病院が含まれる長野県3市5村で形成する「松本モデル」がなぜ機能しているのか。そのポイントは連携だ。同時に、日本の医療制度自体が後れをとる。相澤氏が提言する新たな医療の形とは?

救急車のたらい回しも頻発 バラバラだった松本市の医療

 ─ 連携の好事例と言われる「松本モデル」を構築するきっかけは何だったのですか。

 相澤 松本モデルは自然に今のような形になったというのが正しいと思います。ただ、相当前に県の医療の提供体制が整っておらず、それを何とかしようという流れができました。各地域に地域基幹病院という中心になる病院をつくって、その病院を中核にした地域の医療を構築
していこうという構想です。

 この構想が形を変えてできたのが、地域で必要な医療を確保し、地域の医療機関の連携等を図る観点から、かかりつけ医などを支援する医療機関を指定する「地域医療支援病院制度」です。この1997年にできた「地域医療支援病院」とは、地域で小さな病院や診療所とで役割
分担をして連携することで、地域の医療を守っていく機能を持つ病院になります。

 この頃の松本地域では、皆がバラバラで医療を提供していました。しかし、今のままでは、
将来やっていけなくなるという危機感もありました。同時に、救急医療がなかなかうまく機能しておらず、救急車が病院に断られてたらい回しになるという事例が起こっていたのです。

 これを何とかしなければいけないということで、地域の病院が役割分担と連携をしなければならないという考え方の下で、地域の救急医療体制をどうしようかというところから議論が始まったのです。

 それを何年か重ねていくうちに、お互いの医療機関ごとに役割分担が分かってきて、救急もお互いに役割分担していこうと。総合的な病院でいろいろな科があって、いろいろな病気を診られる場合はいいですが、中規模病院だと、例えば外科は診られるけれども、整形の救急の患者さんは診られないという事情もあると。そこで曜日ごとに診療科を分担してやっていく仕組みをつくったのです。

 ─ 30年近くかかったようですね。

 相澤 それくらいの時間はかかりましたね。さらに救急医療を含む一般的な入院治療が完結するように設定した「2次医療圏」の中にある市町村といった行政も加わるべきだということで、行政はもちろん、救急隊を担う広域消防にも加わっていただきました。そこで、松本エリ
アの医療をどうしていくのかを皆で話し合ってきました。議論していく中で、いろいろな解決策を講じてきましたね。

 例えば、ある病院では当直の内科の医師があまりいないと分かると、その病院は内科の救急には対応できないと分かりますので、内科の救急医療から外れていただき、そこは他の病院が担うという調整がお互いの話し合いの中でできるようになっていきました。ここが大きなとこ
ろだったと思います。

 ─ こういった事例を全国でも広げていくための知恵はありませんか。

 相澤 やはり皆さんが口を揃えて言うのは、誰が音頭をとるかということです。先ほど申し上げたように、我が国では誰かが音頭をとって旗を振ったからといって、うまくいくわけではないということです。

 ただ、誰がトップになって仕切るかということよりも、そういう場をつくることが大事です。そのときに重要なのが、どの地域範囲で医療体制をつくるのかで違ってくるということです。

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