2021-09-07

【経団連会長・十倉雅和】のサステナブルな資本主義・市場経済を!

日本経済団体連合会会長 十倉 雅和



南場智子・副会長の存在意義

「やはり、まず行動で見せなければいけない。経団連はともすれば、大企業の利益を代表する集団とか、そういうことを思っている方が一部おられるのも事実。(日本全体が)DX(デジタルトランスフォーメーション)とかグリーントランスフォーメーション(GX)を実現している中で、われわれ経団連はこれをどう進めていくのかという課題。それらの課題を社会性の視座を持ってやろうと。そういう行動を世間に見せなければいけないし、アピールもしていかなければならないと思います」

 経団連は2020年11月、『。新成長戦略』と『サステナブルな資本主義』を掲げ、会員(企業会員1461社)の行動指針としている。

『。新成長戦略』と“新成長戦略”の前にわざわざ終止符が打たれているのはなぜか?

 それは、これまでの成長戦略に一旦、終止符を打って、サステナブルな資本主義・市場経済をつくり、当面の課題・コロナ危機を克服していこうという思いを込めてのもの。

 十倉体制の副会長陣は19人。この中で初の女性副会長が誕生。ディー・エヌ・エー(DeNA)創業者で会長の南場智子氏が6月経団連副会長に就任。

 十倉氏は、南場氏の副会長就任について、「経団連は歴史ある企業が多いんですけど、創業経営者が少ない。南場さんは女性経営者で創業者。大いなる活躍を期待しています」と語る。

その時代のテーマを背負ってきた歴代会長

 経団連は伝統的に製造業を中心に運営されてきた。今の経団連(日本経済団体連合会)は2002年春、旧経団連と日経連(日本経営者団体連盟)が統合してスタート。

 旧経団連は1946年(昭和21年)8月16日、まだ敗戦の余燼が燻る中、日本の復興と産業再生を目指して発足。歴代会長はその時代の課題解決に向けて、リーダーシップを発揮してきた。

 例えば、2代目会長・石坂泰三氏(東芝元会長、会長在任は1956―1968)は日本の産業界の国際競争力を付けるためと資本自由化を推進。時期尚早の反対論もある中、遅かれ早かれ、通らねばならない道として、資本自由化の旗振り役を務めた。リーダーとしての覚悟だ。

 4代目・土光敏夫氏(東芝元会長、在任期間は1974―1980)は石油ショックで痛手を受けた産業界の体質強化に尽力。会長退任後は行財政改革の目付となり、「増税なき財政再建」を訴えた。本人は倹約生活を実践、“メザシの土光さん”と呼ばれ、国民の人気を集めた。

 国難に直面した時に苦い薬を呑むこともある。その必要を時に直言し、率先して実践するリーダーと国民との連携である。

 日経連は1948年(昭和23年)の設立。戦後すぐは赤旗が林立し、労働争議が頻発。「経営者よ、強かれ」というスローガンの下、経営者サイドの労働政策立案にあたり、雇用問題などに対応してきた。

 戦後、1960年代から70年代前半までの高度成長時代は労使対決路線の色彩が強かったのが、その後、労使協調による生産性向上へ移行。日経連の役割、使命も時代の流れに沿って変化してきた。

 こうした時代の流れを背景に、21世紀入りした2002年春、旧経団連と日経連が統合し、日本経済団体連合会(略称・経団連)が発足したという経緯。今年は統合から20年目になる節目の年。記念すべき年だが、今、世界はコロナ危機の真っ只中。加えて米中対立、さらにはシリア、アフガンの混乱、ミャンマー国軍のクーデターと、大小の危機は世界規模で存在する。

 この混乱・混迷の中で、どう新しい秩序、システムをつくり上げていくかという命題は十倉経団連にも振りかかる。

本誌主幹 村田博文

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