2021-08-16

【キッコーマン】中野祥三郎新社長が語る「調味料は一度その地に定着すれば簡単にはなくならない」



米国でのしょうゆの普及

 ─ しょうゆの本格的なグローバル化は戦後、始まったと聞いています。

 中野 ええ。戦後の日本には米国から官僚やジャーナリストなど、多くの米国人が日本を訪れました。彼らが日本のすき焼きなど、しょうゆを使った料理を召し上がると、みんながおいしいと言ったのです。この光景を見ていた当社の先輩たちが「しょうゆは米国でも売れるのではないか」と考え、1957年にサンフランシスコに販売会社を立ち上げました。

 それでも最初は相当な苦労があったと聞いています。米国人の方々がしょうゆを見ても「これは何だ? 」という感じだったようです。スーパーなどの店頭で試食を何度も実践し、しょうゆを使ったメニューも作りました。それで徐々にしょうゆが認知されるようになりました。

 中でもお肉にしょうゆが合うという理解が広がったことは大きかったですね。レシピは現地の味覚と食材に合わせて作ることが重要で、米国で提案したのが、肉の「テリヤキ」です。お肉を焼いたときに漂うしょうゆの香りが米国人の食欲をそそったんです。

 ─ 食は保守的なものですが、そこを変えていったと。

 中野 はい。それから米国内に段々と浸透し、販売会社設立から16年後の1973年には生産工場を建設しました。一度その地に定着すれば、そう簡単にはなくならないのが調味料の特徴でもあります。爆発的には増えませんけれども、徐々に浸透させていきました。そして今でも米国での生産量は増えていますから、そういう地味な努力をするところが当社の強みです。

 ─ キッコーマンはいち早くグローバル化を進め、売上高の6割以上、営業利益では約7割が海外になっています。

 中野 そうです。今のところ米国がメインで、欧州は順調に伸びているところです。コロナの前から伸びていたのですが、コロナをきっかけに家庭でしょうゆを使ってくださる方が増えています。

 ─ 一方で、中国市場は?

 中野 北京と上海の郊外に工場はあるのですが、ウェイトは比較的低いです。中国には日本のしょうゆと似た調味料があり、現地のメーカーが作っているのですが、当社の商品とは価格帯がある程度違います。当社は高付加価値市場に照準を合わせているので、ボリューム的にはそれほど大きくないというのが実情です。

 ただ、今後、中国で物流網が発達してくると、鮮度の良い刺身等の食材が流通してくるようになります。そうなれば、素材の良さを生かす日本の本醸造しょうゆの活躍の場が増えてくると思いますし、当社もいろいろな提案ができると思っています。

 ─ 需要は掘り起こせるということですね。中野さんの最初の配属先はどこでしたか。

 中野 営業系の現場の経理です。売った品代や売り上げの代金を回収する仕事でした。入社した頃はそろばんの世界でしたね(笑)。その後、大阪に行ってスーパーマーケットの営業マンとして店舗回りから始めました。当時はモノが次々と売れる時代でしたので、スーパーの特
売時などは、陳列するそばから売れていきました。これも現場の仕事で汗をかきましたが、非常に楽しかったですね。

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