中学時代の試合で女子選手に敗退して…
背負い投げで一本勝ち――。
そういう力強いイメージの野村だが、意外にも最初から強い選手ではなかった。
野村は1987年に天理中学校に進学すると、最初の試合で女子選手に負けてしまったというエピソードがある。もともと体格も小さく、当時は体重も30㌔台だったという。
「親父さんも、もうこの子は小さくて、柔道部へ入れとは言えなかったと言うんです」
体格には恵まれなかった野村がなぜ、五輪で金メダルが獲れるほど強くなれたのか?
「やっぱり考え方でしょうね。得意技の一本背負いとか、誰が相手でも絶対にかけられるようにする。世界に通用する技を磨いていくということを、自分なりに考えて、やってきたということですよね」と木村。
そうした考えのもと、練習に励む。日々の稽古が世界一の技を築いていったということだ。
「何かやれと言われなくとも、やはり優れている人は普段から努力し続けていますね。だから、ミキハウスの人の採用でも、努力してきた人たちを採用するように心掛けています」と、木村は語る。
伸びる人材とはどういう人なのかという問いに、木村からは「放っておいても努力する人」と、即座に答えが返ってくる。
柔道でも、卓球でも、野球でも、試合の度にテレビなどで『ミキハウス』の文字が目に映る。
「あの会社は知っているということで、また、いい人材が入ってくれています」と木村。
本人が努力する舞台を用意するのが経営者の務めという木村の考えである。 (敬称略、以下次号)