世界1を目指す女子柔道の姿に…
1番を目指す――。
「とにかく1番良い商品を使ってもらって、お客様から『本当にいいものをつくるね』というお褒めの言葉をいただくことで、うちの製品はこんなに喜ばれるのだと社員が誇りを持つようになる」という木村の経営思想は創業時から変わっていない。
自分と同じように、ひたすら頂上を目指して日々努力し続ける人たちはどんな人たちかと考えている時、ふと木村は、スポーツに打ち込む選手たちもそうだと気づいた。
木村が注目したのは女子柔道の選手たち。
1984年にオーストリア・ウィーンで開催された世界女子柔道選手権52㌔級で山口香選手が金メダルを取るなど、80年代は女子柔道が世間の話題を集めるようになっていた。
木村は、実はその前から、女子柔道選手を密かに応援していた。いわゆる、スポンサーとして田辺陽子、小林貴子、佐々木光といった選手たちを支援。
「佐々木選手はソウル五輪(1988年)で金メダルを取り、田辺選手は銅メダルを取りました。その頃、日本には社会人の女子柔道クラブは1つもなくてね。それが世界の晴れ舞台で堂々とメダルを獲得してくれたんやから、ホンマに嬉しかったです」と当時を振り返る。
柔道は、日本で嘉納治五郎(講道館の創始者)が生み出した武道でありスポーツ。
東京高等師範学校(現在の筑波大学)の教師でもあった嘉納治五郎は、人間力を高め、人格形成のためのスポーツとして柔道を編み出し、精神性をも重視。こうした点が世界に幅広く受け入れられ、世界の『JUDO』として発展していった歴史を持つ。
ただ、木村が起業(1971年)した頃、柔道と言えば男子がするものという考えが一般的。まだまだ女子柔道を理解する人は少なかった。
「ええ。そうでしたね。女子が足を広げてとか、寝技なんてと反発する声もあった。どこも、誰も応援してなかったんですよ。だから、僕は密かに応援することにしたんです」
世界を目指し、日々精進していく――。選手の努力する姿は、子供服の世界でナンバーワンを目指す自分のそれと重なる。木村は心の中で「よし、応援したる」という思いであった。