2021-07-14

ミキハウスグループ代表・木村 皓一の「世界の子供に笑顔と安心を!」(第14回)

1976年の会社説明会



一流の人材を当初から採用!



 企業経営を支えるのも「人」であり、創業時から一流の人材を集めようと、採用には人一倍神経を使ってきた。

「僕は1人で会社を立ち上げ、女房にも手伝ってもらっていたのですが、初めて人を採用する時、まずはリクルート社に行って採用を頼みに行ったんです」

 1971年(昭和46年)に創業してから5年くらいが経った頃、ミキハウスを立ち上げ、スタートしたばかりの時点で、木村は採用最大手のリクルート(当時の社名は日本リクルートセンター)に採用を依頼しに行った。

 売り上げも増え、事業が成長軌道に乗ってきたということで、木村の中にも、大学新卒の採用を堂々と始めたいという気持ちが強くなっていた。

 創業当初から、世界を意識し、最高級のブランドを育て、社員も一流の人材を育てたいという思いが木村にはあった。

 そこで、リクルート社を訪ね「いい人材を採用したい」と申し入れたのである。

 木村はリクルート社に出向き、「関関同立以上の人の採用をお願いしたい」と申し入れたのである。

 関関同立とは、関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学という、関西における有名私大のこと。優秀な学生を採用したいというメッセージを、木村はリクルート社の担当者にぶつけたのである。

 それを聞いた担当者も前向きな人だった。

「よし、任せてください。いろいろ知恵を出して成功させます」と即答してくれた。

 木村は採用費用として約1200万円を支払った。初任給は月額数万円という時代であり、“1200万円”は当時としてはバカにならない金額。

 木村の意気込みを知り、リクルート社の担当者も張り切ってくれた。

 木村は採用条件の出し方も、“関関同立の出身者”として、待遇面では世間の相場より3割高い月給を示したのである。

 結果はどうだったのか?

「来ました。来ました。大阪府立大学、関西大学、亜細亜大学と関西圏だけでなく、関東の大学からも応募者が来てくれて」

 応募してくれたのは、男性2人、女性3人。現在の数千人の就職希望者が押し寄せる人気ぶりに比べると、その時の数字は小さいが、木村にとっては、まさに値千金の出来事であった。

(敬称略、以下次号)

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