2021-07-15

日本特殊陶業会長・尾堂 真一氏の【母の教え】

尾堂真一・日本特殊陶業会長


何も言わずに
3000円を出した母

 県立鹿児島中央高校に入った頃は成績優秀で、同学年600人のうち100番以内の生徒を集めたクラスに入っていました。

 入学と同時に野球部にも入っていたのですが、野球部では勉強をするのが「悪」といった雰囲気があり、本当は勉強と野球を両立させるはずが、野球ばかりで勉強はしなくなっていきました。成績はどんどん悪くなる一方、この道では食っていけないと限界も感じていました。

 進学校でしたし、両親からも「自転車とギターを買ってあげるから野球をやめなさい」と言われ、先生からも「選抜クラスにいるのだから野球をやめて勉強しなさい」と言われ、自分自身も「これ以上、野球はうまくはならない」と感じ、野球を辞めることを決めました。

 ところが、野球を辞めても勉強に身が入らず、不良グループとつるんでいた時代がありました。当時、ボウリングが流行っていて、初めて彼らとボウリングに行ったとき、お金を払わずに「逃げろ」と言われ、訳もわからず一緒に逃げたことがありました。そのことにものすごい罪悪感を抱いて、何でこんなことをしてしまったのだろうと後悔しました。

 ボウリング場の住所はわかっていたので、帰宅後、母に「3000円ちょうだい」と言うと、母は一切理由を聞かずに「あ、そう」とパッとお札を出してくれました。何に使ったのか聞かれたらどうしよう、何て言おうかと思っていたのですが、何も聞かれませんでした。そして自分で謝罪文を書き、3000円を封筒に入れて、ボウリング場に持っていきました。 母はいつも「お金がない」と言っていましたし、当時にすれば大金を、何かあったのだろうと、何も聞かずに出してくれたことは強烈に覚えています。

 社長を目指して社長になったわけではなく、巡り合わせで今こうなったとしか言えないのですが、高校時代、歯車が狂っていたら、今のわたしはないだろうと思います。どんな人生かはわかりませんが、野球を続けていたら、違う人生になっていたのは間違いないと思います。

 今、ここに自分があるのは、人との巡り会い、人を大事にし、縁を大事にすることの結果のように感じています。

 会社のために間違っていないと思ったら、躊躇せず、アクションに移すのがわたしの得意技です。間違っていたら、やり直せばいいのです。これがいいと思ったら、突き進んでいく。とにかく早くアクションを起こすことで、自分なりの流れを止めたくないという思いがあります。

 母は8人兄弟の長女として、人の話をよく聞く、嘘はつかない、常に誠実に、やれることは一生懸命やってあげるという信条を持っていました。

 わたしも自分の行動パターンに〝軸〟みたいなものがあるのですが、その1つに人から助けを求められたら逃げないということがあります。去るものは追わず、来るものは徹底的にできる限りのことはしてあげたいと。これは母を見ていて学んだことで、それが自分の周りの環境を良くしていくと感じています。

 情けは人の為ならず、ではないですが、人に良くすることで、最終的には自分に返ってくると感じています。

 経営においても、部下が何かに困って来たときは逃げずに最終判断する。そして、正解のない解を求めなければいけないときは、自分も一緒に責任を取って解を出すようにしています。

 時代も環境も変化する中、母の教えを活かし、この環境変化に対応していきたいと思っています。

三菱ケミカルが進める【環境経営】

おどう・しんいち
1954年鹿児島県生まれ。77年専修大学商学部を卒業し、日本特殊陶業入社。ドイツ、オーストラリアの駐在を経て、2005年米国現地法人社長に就任。
07年取締役、10年常務、11年社長、16年会長兼社長、19年4月会長に就任。20年から日本自動車部品工業会会長も務めている。

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