2020-12-18

ファーストリテイリング・柳井正会長兼社長「理論だけでは経営できない」

柳井正・ファーストリテイリング会長兼社長

もっと国民が現実を見て

 ─ 菅政権が発足し、菅義偉首相は規制改革を進めると共に、目指す社会像として「自助・共助・公助」を掲げました。この「自助・共助・公助」は大事な精神だと思うんですが、柳井さんは今の日本を見ていてどう感じていますか。

 柳井 わたしは、もっと自分の目で全世界のことや自国の現実を見ないといけないと思います。特に日本はこの失われた30年間で、本当に惰眠をむさぼっていた。安定という名の下に衰退しているのが目に見えていなかった。「人間は見たいものしか見えない」という格言がありますが、もっと国民自体が現実を見て、これではいけないのではないか?と思わないといけないと思います。

 ─ 自立・自助の精神で、基本的に自分で開拓していかなければいけない。

 柳井 そうです。当社は東南アジアのほとんどの国に出ています。現地で若い人を見ていて思うのは、日本の若い人が彼らと競争したらどうなるのかと。

 もちろん、ぜひ勝ってもらいたいなと思うんですけど、今の心構えではちょっと勝てないんじゃないかなと。若い人は内にこもるのではなく、もっと外に出て勝負しようという心がないと、アジアの若者たちに勝てないと思います。

 われわれはもっといろいろな国のことを知っておかないといけないと思いますし、いまだに日本人の中に、東南アジア蔑視というか、東南アジアは日本よりも遅れているという感情があると思うんですよ。

 しかし、現実を見たら、東南アジアの方が進んでいる部分も沢山ありますし、日本の方が進んでいると思ったら大間違い。もっと謙虚に学んで、アジアの国々の人々と一緒に新しい日本の未来をつくっていくという姿勢が必要だろうと思います。

 ─ ユニクロがアジアに進出していく上では、当初から彼らと一緒に新しいユニクロをつくるんだという考えがありましたね。逆に言えば、そうでないと、彼らも一緒に付き合ってくれなかった。

 柳井 そうですし、やはり、一緒に事業を組み立てましょうということでないと、彼らは付いてきてくれませんよね。

 これはどこの国に対しても同じだと思いますが、「俺たちが上でお前たちは下だから、手足として仕事をしろ」みたいな姿勢では誰も言うことを聞きませんよね。

 やはり成功するには、一緒に仕事をして、一緒に苦労もしようと。ただし、苦労もするけど世界一になりましょうと。そういう目標がないと人は付いてこないです。

実践でしか本当の知恵は身に付かない

 ─ これは柳井さん自身、創業期に7人いた従業員のうち6人が辞めてしまい、苦労したという経験があったことも大きかったですか。

 柳井 そうですね。やっぱり僕自身にダメなところが沢山あって、従業員が辞めてしまったものだから、自分で全部やるしかなかった。

 そこでわたしは、商売というのはこういうものだということを、実践を通じて理解できたんです。商売というのは実践を通じて理解できない限り、理論だけでは経営できないんですよ。

 ─ なるほど、理論だけでは経営できない。

 柳井 ええ。やっぱり実践を通じて人と交わり、皆と一緒になって仕事をしていく。仕事というのはチームでやるものですから、目標設定が大事です。

 もちろん、チームは勝たないといけない。企業が勝てるというのは、売上や収益を上げていくということだと思いますし、もう一つ大事なことは、教育して経営者を育てることです。

 前述したように、われわれが東南アジアや中国に進出してある程度成功できたのは、優秀な経営者がいたからです。

 誰でもいいから部長を捕まえて、「ちょっとタイに行ってきてよ」なんて言っていては、絶対に成功しません。会社ごと現地に溶け込み、東南アジアに骨を埋める、あるいは中国やインドに骨を埋めるくらいの気概が無いとダメですよね。

 ─ 経営者を育てることがいかに大事かと。2001年にユニクロがロンドンに初出店した後、撤退を余儀なくされたりもしたんですが、その時の反省もあるわけですね。

 柳井 ええ。われわれの商売は、こう言ったら何ですが、現在はアパレルの世界では一番進んでいる会社だと思うので、今であればどこの国に行ってもある程度は成功すると思います。ただし、それには条件があって、そこにいい経営者がいたらということです。

 わたしはいい経営者といいチームができない限り成功しないと思っています。やはり経営はチームで動くものですし、それプラス、現場の社員が頑張ってくれないといけない。

 欧米で難しいなと思うのは、向こうには階層があるから、どうしても小売業で働く人の心構えが、自分たちの都合や自分たちのペースでやっている。サービスを向上させようとか、そういう方向になかなかいかないので、あれを変えてもらわないといけないですね。

 ─ 日本にもかなり若い経営者が出てきました。柳井さんがベンチャー経営者と話していて、どんなことを感じますか。

 柳井 彼らと話していて一番思うのは、世界に出ていくという会社は沢山あるんです。でも、わたしはちょっと待ってくれよと言いたい。世界へ出て行くためにはオリンピックと一緒で、日本代表にならないと世界に出て行ってもダメです。日本で断トツのナンバーワンにならない限り、世界へ出て行っても通用しませんよ。

 彼らはインターネットを通じて世界を知っている。知っていることができることだと勘違いしている。でも現実に商売をしていないから成功できない。やはり、実践でしか本当の知恵は身に付かないと思います。


このままでは商売をやっても意味がない…

 ─ もともとユニクロが一気に飛躍したのは、1998年に東京・原宿に出店してからでした。当時はバブル崩壊後で経済環境が厳しい時代、モノが売れない時代だったわけですが、この時はどういう気持ちで出店したのですか。

 柳井 実は原宿に店を出すといっても、あまり期待していなかったんです。というのは、原宿出店の半年ほど前に大阪のアメリカ村にお店を出したんですよね。だから、よく勘違いされるんですが、都心型の1号店は原宿ではなくアメリカ村だったんです。

 ─ そうなんですか、それはあまり知られていませんね。

 柳井 アメリカ村でわれわれは大失敗しました。だから、原宿もダメだろうなと思って、オープンの日に店へ足を運んだんですよ。そしたら、すごく人が並んでいる。どこの店なんだろうと思っていたら、自分の店だった(笑)。それくらい、自分の店に人が並んでいるとは思わなかったんです。

 それはやはりアメリカ村で失敗しているからです。その時気づいたんですが、わたしは自分で偏見を持っているということでした。でも、客観的に見てみたら、どんなに逆境の人でも有利な点とか、逆説的にこれはプラスになるなという点があるんですよ。だから、そこに目を付けないといけないです。

 ─ つまり、客観的に見たらプラスもあった。それはやはり商品力ですか。

 柳井 そうです。それとやっぱり時代に乗っていたのだと思います。

 ただ、商品力にしても、初めから順調だったわけではありません。原宿へ出店する前の1995年10月に「ユニクロの悪口言って100万円」という広告を出したんですよ。すると、何万通ものハガキが送られてきたんです。わたしはそれを全部読みました。

 ─ 何万通のハガキを読んで、どう思いましたか。

 柳井 全部読んだら毎日気分が悪くなりましたよ(笑)。

 例えば、買って洗濯機に入れたらボタンが全部取れたとか、ジッパーの位置が違うとか、中にはジッパーが反対になっていたというのもありました。他にも裏地が表地になっていたとか、1回洗濯したら縮んで着られないとか、それは気分も悪くなりますよね。

 ─ そういうのが実際あったんですか(笑)。

 柳井 あったんです(笑)。だから、その時思ったのは、これは自分たちでつくって、生産管理まで全部やらないとダメだと思いました。

 ─ なるほど。そこでSPA( Speciality store retailer of

Private label Apparel =製造小売業)へと進化していったと。

 柳井 ええ。わたしの中で1984年に広島にユニクロの1号店を出してから、ある程度成功したという実感があったんですけど、商品的には満足していませんでした。

 それはなぜかといったら、お客様はユニクロの袋を持って帰りますが、外を見たらうちの袋が捨ててあるんです。これはブランドとして評価されていないということですから、本当にショックでした。

 ─ これはショックだったでしょうね。この時はどういう思いで自分を奮い立たせたんですか。

 柳井 だから、この時思ったのは、このままでは商売をやっても意味がないということ。それで品質に問題があるということが分かったので、自分たちでつくらないといけないと思ったのです。


SPAの原点とは?

 ─ なるほど。それで香港に行ったんですか。

 柳井 ええ。何とかしないといけないと思って、一番初めに飛び込んだのが香港でした。

 わたしはジョルダーノというファッションブランドの創業者、ジミー・ライ氏に会いに行きました。彼はもともと米リミテッドに商品を供給するサプライヤーとして活躍していて、香港発のSPAブランド・ジョルダーノを立ち上げたんですね。

 実は彼はわたしと同い年で当時38歳でした。わたしは田舎の中小企業のしがないオヤジだったんですけど、向こうはロールスロイスに乗っているんです。

 それから、同じ年なのに、なんで彼はこんなに自分と違うのかと。彼にできるのであれば、自分にだってできるだろうと考えて、わたしはSPAというものを真剣に勉強するようになったのです。

 ─ それがユニクロのビジネスモデルをつくる原点だったんですね。

 柳井 そうです。わたしが他の人と違うことがあるとすれば、そういう人がいたとしても普通は会いに行きませんよね。でも、わたしはあらゆる伝手を辿ってその人たちに会いに行き、どうやって成功したのかを聞きに行ったんです。

 やはり自分のビジネスに必要なことは、よく知っている人に会いに行って聞くことが大事です。だから、若い人たちに言いたいのは、実際に行動してくれということ。自ら行動し、実践することで未来を切り開いていってほしいと思います。

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