2021-06-26

ミキハウスグループ代表・木村 皓一の「世界の子供に笑顔と安心を!」(第10回)

米・サックスとの取引開始後に西武から…


 西武百貨店は西武流通グループの流通部門を代表する拠点で、1960年代後半から1970年代にかけて、百貨店業界でも存在感を高めてきた。

 西武グループは創業者・堤康次郎(元衆議院議長)亡き後、流通部門は息子の堤清二(1927=昭和2年―2013年=平成25年)に任され、鉄道・ホテル関係はその弟の堤義明に託されていた。

 堤清二は小説や詩作にも励み、小説『虹の岬』で谷崎潤一郎賞を受賞(1994)するなど文化人でもあり、異色の実業家として知られる。

 本業では、1969年(昭和44年)池袋・西武本店の隣にあった『東京丸物(まるぶつ)』を買収し、ファッションビルの『パルコ』として売り出すなど、ファッション界に新風を吹き込んでいた。

 西武百貨店は1980年代後半、当時百貨店で売上高首位の三越を抜き、日本一の百貨店にするなど、一世を風靡。世界のファッションの流れに日本の百貨店も敏感に対応していた。

 そういう時に『ミキハウス』が米ニューヨークの五番街(フィフス・アベニュー)に本拠を構える『サックス』と取引を始めたというニュースが流れた。

 当時、百貨店界に新風を吹き込み、流通業界で存在感を高めつつあった西武百貨店の仕入れ担当者もそれを聞きつけて、わざわざ大阪・八尾市の三起商行本社を訪ねてきた。そして、「うちと取引させてほしい」と申し入れたのだった。

 前述のように、都内の某有力百貨店も同じ申し入れをしてきていた。しかし、その有力百貨店は木村が『サックス』との交渉をまとめる前に、商談を進めたのだが、一度、断られた経緯がある。

 それが、米『サックス』と三起商行が取引を始めるということを知った途端、手の平を返すように、商談を申し入れてきた。

 これには、さすがに木村も承服できかねて、「お断りします」と返事をした。

 ということで、木村は西武百貨店との取引を開始し、日本国内での百貨店ルートを本格的に開拓していくことになった。

 木村が創業したのは1971年(昭和46年)、26歳の時。最高級の子ども服をつくる――という思いは創業時から強く、何事にも簡単には妥協しないという姿勢を当初から貫いた。

 商品の搬送についても、知恵をめぐらした。よい商品をつくり、いかに早く、お客の手元にそれを届けるかということで、木村が目を付けたのは新幹線であった。

 今でこそ、新幹線はわたしたちの日常生活で当たり前の移動手段として定着しているが、当時は東京―大阪間を短時間でつなぐ、“夢の超特急”として人々に夢と刺激を与えていた。

 新幹線が東京駅と新大阪駅間に登場したのは1964年(昭和39年)、第1回東京五輪が開催された年。日本は敗戦の痛手から立ち直り、高度経済成長を続け、同じ年、先進国クラブと称されるOECD(経済協力開発機構)に加盟。日本全体に活力がみなぎり、人々は前向きに生き抜こうとしていた時代。

 その新幹線が登場して10年足らず、それまで東京―大阪間は旧来の特急列車だと8時間以上はかかっていたのが、『こだま号』で約4時間、『ひかり号』だと3時間弱で往来できるというので、人の移動にはとても便利。新幹線人気は沸騰した。

 その新幹線を荷物の運搬に活用しようというのが、木村の発想であった。

「新大阪駅を朝6時の新幹線で出て、東京へ向けて運ぶ。社員3人位で一杯担いでね。グリーン席後部の4人分の席を確保し、最後部席と車両のカベの間の隙間も活用させてもらって荷を運んだんです」

 百貨店に納入する量だから、結構な荷である。

「ええ、肩が抜けるぐらい重い荷ですからね。それでも、みんな、よし売ったるぞという思いでした」


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