2021-06-18

【経営は誰のためのものか?】資生堂・魚谷雅彦の原点回帰論「日本的価値や良さで、グローバル市場に挑戦」

魚谷雅彦 資生堂 社長兼CEO



中国市場への取り組み方

 魚谷氏の経営でもう1つ注目されるのが中国市場に対する戦略である。資生堂の中国市場への取り組みは歴史的に長い。

 社会主義国・中国が改革開放路線を取ったのは1978年のこと。時の最高指導者・鄧小平氏が打ち上げた改革開放路線は中国を世界第2位の経済大国に押し上げる原動力となった。

 資生堂は1981年に首都・北京に店を開設。今年は中国進出40周年に当たる。

「外国系の化粧品会社では、おそらく1、2番目に早かったと思うんです。社名ももともと中国の古典に由来していますしね。隣国同士で、われわれも漢字を使ってきたし、互いに関係をつないできた」

 資生堂は1981年に北京に事務所と店舗を開設。『井戸を掘った人』を大事にする中国で、第10代社長・福原義春氏は北京市の名誉市民にもなっている。

 資生堂の売上高の中で中国市場の占める比率は高い。

「資生堂は漢字表記だし、いい漢字ですしね。最初から、わりと高級化粧品だけをやられていたので、中国のお客さんの間で評判もいいし、馴染みがあります。資生堂というのはものすごく技術が高くて、機能も高い、効果も高い、いい化粧品だという評価をいただいています」

 いま中国市場には海外メーカーも多数進出し、大変な競争状態だが、「わたしたちは可能性を感じています」と魚谷氏は語る。

 現在、中国市場での販売額は年間2000億円を超える規模まで成長。日本、米国、欧州、中国、アジア、そして『トラベルリテール』という空港販売の計6つの地域割りの中で、中国の売上比率は全体の26%と、日本の33%に次いで2番目を占める。

 資生堂の中国市場戦略は、日本国内で製造して、中国へ輸出するというもの。中国の消費者の間では、日本で製造された化粧品の品質管理への信頼が非常に高い。〝メイド・イン・ジャパン〟への信頼と言っていい。

 資生堂は日本国内に那須、掛川(静岡)、久喜(埼玉)、大阪茨木の5工場と海外7カ所で生産。グローバルに計12カ所の生産拠点を持つ。

 この3年間に、日本国内で、大阪、那須、久留米(福岡)と3つの工場を新設するなど一大投資が続く。

「最新鋭の工場を3つ作ります。来年(2022)、九州の久留米に1つできます。九州ですと、本当にすぐ海を渡ると中国、アジアですからね。九州にぜひ工場を作りたいと思っていたんです」

 中国はDX(デジタル革命)を含めて、ダイナミックに変化している市場という認識の下、
同社は中国に研究開発拠点を上海市などに設置。

 健康であることへの関心が高い中国の顧客の消費志向の調査や商品開発の研究拠点を中国に構えながら、生産は日本で行う─という資生堂の戦略。

化粧品は平和産業として

 いま米中対立が激しくなり、経済と安全保障問題が絡み、『経済安全保障』が時のキーワードになってきている。特に半導体やAI(人工知能)といったデジタル領域など最先端科学分野での相剋である。

 化粧品はその国の国民(消費者)の美と健康に関する事業であり、ただちに『経済安全保障』という枠に組み込まれる筋合いのものではない。あくまでも平和産業であり、美の関連産業だ。

 ただ、人権問題のように微妙な問題も登場。 産業界もこのような中国リスクにナーバスになりつつある。 グローバル経済はそうした問題を含みながらも、中長期的には成長していく。

「われわれの事業はいわゆるクロスボーダーで、国境なき事業のサイクルを作っていきたい。昔だったら、国で線を引くんだけど、今はそうではなく、一貫性を持つシームレスなマーケットと事業のサイクルモデルを作るという段階に来ていると思うんですよね。だから、中国で研究開発のところ、R&Dも実は拡充しているんです。これも中国のお客さんのニーズを組み入れていくため。作る時は日本の工場に持っていく」

 世界中で事業を展開する資生堂。日本から全てが出ていく時代ではなくなっているのも事実。

「米国で良いものがあれば、欧州で良いものがあれば、それを世界中に売っていく」というグローバル経営の時代である。

 その中で、東京の本社の役割とは何なのか?

「大きな方向性を示し、経営戦略を打ち出す。それをみんなが理解するように、コミュニケーションする力が必要になります」

 複雑多様化するグローバル社会で成長していくためには、内外でのコミュニケーション力が不可欠という魚谷氏である。

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本誌主幹 村田 博文

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