2021-06-12

【作家・倉本聰】放送開始40周年を迎える『北の国から』の主人公・黒板五郎が訴えてきたものとは?


5合目から登る富士山

 ── これは自らの行為を止めるということですか。

 倉本 例えば、カーボンニュートラルという脱炭素。これは温室効果ガスを減らすことですが、そのためにはCO2の吸収量を増やすか、排出したCO2を除去するかの2つの方法があります。しかし、いま政府が考えているのは除去する方法です。

 肝心の吸収するための森を育てるということが抜けている。例えば僕らは10年間かけて植林を行い、34㌶の土地に7万本の木を植えました。だけど、これに対する国の助成金は一銭も入っていません。そして、林業に興味を持っている若者も増えているのですが、チェーンソーで木を切ったり、木材を作ることが林業だと誤解しています。

 ── 育てるとか植えるということではないんですね。

 倉本 コツコツと種を拾い、それを植えて育てていくという作業を考えていないのです。その作業には人件費がすごくかかる。だから、僕らはその人件費を捻出するためにスポンサー探しをしなければならない。本来であれば、国がお金を出すのが当たり前なのですが、出してくれない。種苗会社などに流れてしまっているのです。

 ── 肝心なところ、つまりは本質を見ていないと。

 倉本 そう思いますね。富士山を見ていても、みんな5合目まで車で登ってしまいます。そして、5合目から頂上まで歩いて富士登山をしたと言っていますが、まさにこれは5合目が発想点になっているんです。

 だけど、5合目というのは標高3776㍍の富士山のうちの2400㍍の地点。ですから、1300㍍しか自らの足で登っていないのです。1合目でさえ、標高1300㍍です。本当に3776㍍を歩こうとしたら、海抜ゼロの海、駿河湾から歩かないといけません。そこから物事も考え直さなければならない。

 ── 発想する起点をもう一度、考えるべきだと。

 倉本 ええ。つまり、もう一度、原点に戻って考えたら、須走口、御殿場口、吉田口、富士宮口という、いまある4つの登山口以外の新しい道が見つかるかもしれないし、新しい発想点ができるはずじゃないですか。

 だから、僕がいつも物を考えるとき、あるいは作品をつくるときは、ゼロから再考することを考えるのです。それは海抜ゼロから再考するということです。その思想が全くないのです。みんな5合目から物事を考えて発想してしまっているのです。

 ── 科学文明の力も借りて5合目なんですよね。

 倉本 そうなんです。

 ── 本来であれば、ゼロ地点からスタートすべきだと。

 倉本 はい。今の日本の仕組みでは知識をいっぱい知っている人間が偉いんです。でも、知恵を持っている人間がもっと尊ばれなければいけません。それなのに、知識を持っている人間が偉くなり過ぎています。

【倉本聰:富良野風話】老衰

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