2020-12-09

キヤノン・御手洗冨士夫会長兼社長「悲観は感情から生まれ、楽観は意志から生まれる」

御手洗冨士夫・キヤノン会長兼社長


新事業領域の開拓は〝3つの原則に〟則って

「新しい産業に入っていくために、わたしには3つの原則があります」と御手洗氏。

「1つは、サステナビリティ(持続性)。産業としての持続性があるかどうか。もう1つはマーケットが広いかどうか。ニッチ産業ではなくて、巨大産業ということですね」

 御手洗氏は、2つの原則をこう挙げたあと、3つ目の原則として「今の経営リソース(資源)を活用できるもの」を挙げ、次のように続ける。

「新しい事業を手がけるにしても、かつて米GEがやったような飛び石ではなくて、今の経営リソースを活用できるもの。これによって、雇用の確保ができます。飛び石の経営戦略だと要らなくなったものを捨ててしまう。しかしながら、うちは雇用を大事にしている会社です。80何年の歴史で、うちはリストラをやったことがないんですから。これは当社の思想なんです」。

 人を大事にする経営─。これは創業者・御手洗毅氏以来の経営の原点。御手洗毅氏は先述のように、御手洗氏の叔父。郷里・大分県から北海道大学医学部に進み、東京で医者としての道を歩んでいた。

 キヤノン創立には毅氏は投資家として参画。カメラなど光学製品の事業に興味を持っての参画だったが、途中で会社経営を引き受ける立場になり、1943年(昭和18年)社長に就任し、今日のキヤノンの基礎を作った。

 毅氏は西郷隆盛を崇拝し、『敬天愛人』を座右の銘にした。その経営の原点をたどると─。

 キヤノンは、東京都大田区下丸子の広大な敷地に本社を構える。構内に敷き詰められた芝生と樹木類の緑、そして近代的なオフィス棟・研究棟などの建物の白くて透明感のある外壁がコントラストを成して目に映える。

 本社正門近くには創業者・御手洗毅氏の筆による『自發(自発)』、『自治』、『自覺(自覚)』の3文字が石碑に刻まれている。〝三自の精神〟といわれるものである。

「『自発』は何事にも自ら進んで積極的に行うこと。『自治』は自分自身を管理すること。『自覚』は自分が置かれている立場、役割、状況をよく認識するという意味です」

 御手洗氏はこう説明し、「何ごとも自分で考えて、まず自分でやらなければいけないということ」と補足する。

 要は、1人ひとりが当事者意識を持って、仕事にあたることが大事ということ。

 そうした人材をつくり、社員を大事にしようという思想を、今日の時代の変革期の事業構造転換にも御手洗氏は実践していくと強調する。

 自分たちの中核技術は光学の技術。それを基に、自ら磨き、そして足らざる分はM&Aで補強しながら、新しい事業領域を切りひらいていく。

 その際、時代の推移、市場の変化に伴い、事業の縮小や打ち切りを含む取捨選択が出てくる。事業縮小などで余剰人員は生まれるが、その人たちの雇用を維持しながら、新しい技術の習得を促すための研修が今も進む。

社内転職、研修のための教育施設・制度を整備

 雇用を大事にし、社員の再教育を徹底していくということ。

「新しい事業に転職させるために、わたしは学校をつくりました。その学校で社内転職のための教育をしているわけです」

 CIST(Canon Institute of Software Technology)と呼ばれる教育プログラム。

 2018年にソフトウェア人材の育成を進めるための研修者施設として、CISTは設立された。先端技術人材の育成やリカレント教育(学び直し)を行おうというものだが、社員それぞれのキャリアに応じた多様なプログラムを用意。

 中には、欧米の大学に留学し、大学院修士課程で学ぶ『技術者海外留学制度』も用意されているなどプログラムも多岐にわたる。

「例えば、販売の領域にしろ、これまで複写機を売っていた人が、今度は高速印刷機を売らなければならない。これを勉強していく。語学研修も含めて、勉強ることは広いし、ソフトの勉強だとか、あらゆる勉強をやっている。転身のための学校です」

日・米・欧の3極を軸にグローバル経営を

 コロナ危機を契機に、新しい生き方・働き方の模索が始まった。ただ、その生き方・働き方も日・米・欧やアジア、その他の地域や国ごとに違ってくる。

 働くことの意義や、働き方もその地域や国の歴史、文化、制度や慣習、さらには地理的条件などを背景にして異なってくる。

 キヤノンは売上高の76%は海外が占めるグローバル企業。同じ先進国でも、日・米・欧で雇用形態も違ってくる。

 採用の面にしても、日本は一括採用が中心で、毎春、新入社員を大量に採り、社内教育して各部署に配分していく。

 これに対して、米国は人材の流動性の高い国。

「ええ、米国の会社に勤めているアメリカ人はうちで働きながら、もっと給料が高い所はないかとアプリケーション(申込)を出している。そのために夜間の大学に行ったりして、資格を取り、アプライしている」

 御手洗氏は日米間での雇用の違いをこう説明しながら、「米国は流動性そのもの。米国のやり方と日本のそれとどちらがいいかという問題ではなく、その国で企業経営を行う場合に、どちらがフィットするかということ」と語る。

 先進国でも日・米・欧で三者三様の違いがある。「米国の場合は、就職も自由だけれども、せっかく雇った人間、育てた人間がどっかに行ってしまう。逆に、解雇もすぐできるし、金銭的にも自由に対処できます」

 欧州の場合はどうか?

「欧州は労働組合があって、組合との話し合いで進める。雇用するにせよ、解雇するにせよ、組合の了承が要りますから、硬直的です。米国のように流動的ではないです。日本は全体に終身雇用が一般的ですし、定年というのが1つあります」

 事業編成でその部門から余剰人員が出たりして、その人員を縮小したり、解雇せずに新しい事業に振り向けていく。御手洗氏は、かつての米国キヤノン社長時代の経営とは真逆のことを日本の地でやろうとしている。

 日・米・欧それぞれの地域・国で経営手法は違うし、それこそ複眼思考で臨むことになるが、この3極がキヤノングループ全体の主軸であり続けると御手洗氏は語る。

 なぜ、日・米・欧が主軸かというと、「自由民主主義であるし、自由経済の市場だからです」という氏の認識。

 人が自分1人で生きていけないのと同様、国もまた単独で、自国第一主義では運営できない。資源国と無資源国であるとを問わず、財やサービスの交流、投資や貿易を互恵の精神でやってこそ、共存共栄の道を歩けるということ。

 冒頭のRCEPといったパートナーシップはそうしたグローバル世界を構築していく上での足がかりになる。ともあれ、目指すはレジリエンス(弾力性)のある事業構築である。

新しい事業領域の本格稼働へ向けて

 スマホの登場によるカメラの構造変化に加えて、コロナ危機によって、事務機や産業機器の設置はマイナス影響を受けた。

「コロナが収まれば、事務機や産業機器は即立ち直ります。受注残がいっぱいありますしね」

 カメラ事業の構造変化に対応するためにMRIやCTなど医療機器領域に参入し、商業・産業印刷、有機ELといった新事業を立ち上げた。

 新しい事業を立ち上げ、新しいビジネスモデルへ移行しようとする矢先のコロナ危機。

 しかし、人の経済活動、産業活動に欠かせないものを手がけようとするのは不変という御手洗氏の思いである

 例えばパッケージ印刷。「パッケージというのは消耗品です。口紅1本だってパッケージに入る。当社だってパッケージ1億以上買っています。カメラの箱だとか、インクジェットのカートリッジの箱。何でも箱に入れています。パッケージはペーパーレスにならないし、サステナビリティがある事務機分野では紙が減ってくるけれども、

パッケージ印刷分野では増えています。ラベル印刷も同じで増えている」

 同社の中核・光学技術にしても、「カメラという事業だけなら狭い領域の話になるけれども、医療機器などを含めて光学産業と考えれば広くなる。われわれはそこに入っていこうとしています」と御手洗氏。

 今は、産みの苦しみ。コロナ危機を耐え抜きながら、社会に不可欠な事業として、次の手を打っていくことのやり甲斐というか、手応えである。

「フランスの哲学者のアランに、悲観は感情から生まれる、楽観は意志によって生まれる─という言葉があります。この言葉がわたしは好きです。悲観からは何も生まれない」

『自発、自治、自覚』の〝三自の精神〟の実践が続く。

本誌主幹・村田博文

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