2021-05-31

経団連の時代的役割とは何か? 新会長・十倉雅和への期待と課題

十倉雅和・経団連次期会長

経団連は5月10日、中西宏明会長(75)=日立製作所会長が6月1日の定時総会で辞任、後任の会長に住友化学の十倉雅和会長(70)を選任する人事を発表した。「広く国民各層、社会全体から支持される経団連を目指していく」と語る十倉氏は時代の変化の中、どうリーダーシップを発揮していくか。

3月まで経団連会長の使命感を持っていた中西氏


 5月の辞任発表に先立つ3月8日、会長・副会長会議後のオンライン記者会見で中西会長は、三菱電機の柵山正樹会長、日立製作所の東原敏昭社長、日本製鉄の橋本英二社長、パナソニックの津賀一宏社長、住友化学の岩田圭一社長(十倉会長が会長就任のため辞退)、IT大手ディー・エヌ・エーの南場智子会長、久保田政一事務総長の7氏が副会長に内定したと発表した。

 南場氏を女性の副会長として初めて起用。併せて定時総会で定款を改正し、18名だった副会長の定員を上限20名に拡大。

 中西氏は「副会長は政策提言の実現に向けて行動していただきたい。そのために定数を増やした」と説明し、6月1日の定時総会には自ら出席して任期2期4年目の最終年の「仕上げの年」への意欲を示していた。

 ただ4月5日のオンライン記者会見で中西氏は自身の体調について「調子は悪くないが、感染症に対する免疫力が下がっているようで担当医師の退院の許可は下りていない」と語った。

 オンラインとはいえ、これが公での最終会見となった。

「無念の退任だった」(経団連幹部)。中西氏は「3月下旬頃までものすごい気合で(最終年の)1年をやることに使命感を感じていた。しかし、再々発を言われ『これ以上は迷惑はかけられない』と(退任を)決断した。無念さは表しようもなかった」(日立製作所関係者)という。

 中西氏は2018年5月に会長に就任。来年22年の総会までが任期(慣例2期4年)だった。

 任期途中での辞任は02年に経済団体連合会(旧経団連)と日本経営者団体連盟(旧日経連)が統合して現在の経団連が発足してから初めて。

 それ以前は、1990年に当時の経団連の斎藤英四郎会長が途中で退任した事例がある。「財界総理」ともいわれる経団連会長が病気治療に専念のため異例の退任となったが、次期会長に内定した十倉氏は5月10日の会見で「中西会長のデジタル改革や脱炭素社会などを掲げた成長戦略の提言の実現を目指したい。(4月15日に会長の)打診を受けたが、『義を貫きたい』との信念でお受けした。政権ともよい距離感を保ちながら対応したい」と述べた。

 住友化学からは米倉弘昌氏が経団連会長に就任(10年5月27日から14年6月3日)以来、2人目、7年ぶりとなる。

経済安全保障も含めて政治と連携


 十倉氏は内定後の会見で「本年は中西経団連の集大成の年であり、任期の途中で健康上の理由により退任を余儀なくされた中西会長の無念さに思いを致すと胸が詰まる思いだ。浅学非才の身であり、微力ながら次期会長として、わが国の経済社会のさらなる発展に力を尽くしていく」と述べた。

 直面する課題として「当面は、コロナ禍からの復活を目指すべく、政官民が力を合わせて、感染拡大の防止と経済回復の両立に全力で取り組むことが肝要だ。そして、ポストコロナの新たな時代には、新しい発想と大胆な政策が求められることになると想像される」と指摘した。

 その上で、中西氏が進めてきた路線をしっかりと踏襲していきたいと強調し、サステナブルな資本主義を確立するために経団連が昨年
11月に策定した『。新成長戦略』における5つの柱、①デジタルトランスフォーメーションを通じた新たな成長②働き方改革③地方創生④国際経済秩序の再構築⑤グリーン成長の実現といった基本施策の具体化を目指すと説明した。

 もう1つの要点は「コロナ問題が収束しない難しい状況下だが、マルチステークホルダーの要請に応えて、広く国民各層、社会全体から支持される経団連を目指していく」と述べたこと。「広く国民各階層、社会全体から支持される」経団連になるために何をすべきかという課題だ。

 先輩の元会長・米倉弘昌氏が当時の政権との関係に苦心したが、政権との向き合い方については「米倉のときに政治と経済が若干ぎくしゃくしたという報道は、私もよく知っている。その後、榊原前会長、中西現会長、政治と経済の関係、政治と経団連の関係、非常によき関係を構築されてきたと思う。それをしっかりと引き継いで、その関係を維持していきたい」と強調した。

 米中で起きているイデオロギー闘争に関連して「経済安全保障の問題もある一方、中国抜きで世界経済は語れない。どうやってこれをうまくやっていくか。経済安全保障の問題も含めて、政治と経済が連携していくことが非常に大事」と決意を語った。

 十倉ビジョンについては「中西会長がつくられた新成長戦略に盛り込まれた内容は、私の考え方と全く同じであり共感を覚えた。新成長戦略に掲げたサステナブルな資本主義、これを構築する。そして社会から協力を得られる経済界、産業界をつくっていく。ソーシャル・ポイント・オブ・ビュー(社会性の観点)を意識していくのが非常に大事」と述べた。

 十倉氏は1950年生まれ。兵庫県出身。東大経済学部卒業後、74年住友化学工業(現住友化学)入社。公害が問題になる中、「これらの問題を解決するのは化学の力」だと考えたという。

 住友化学では早くから「エース」と目され経営企画部門や海外部門などの要職を歴任。業績低迷が続いた11年に社長に就任。サウジアラビアの石油化学コンビナートの安定操業にめどをつけるなど海外事業に注力しながら財務を改善。17年度決算で過去最高益を更新し、現社長の岩田氏にバトンを渡した。

 経団連では14年に審議員会副議長に就任し、15年から4年間副会長、19年以降は再び審議員会の副議長を務めてきた。14年に副会長になった中西氏とは活動期間が重なり、両氏のビジョンは共通することが多いという。

 ただ、日本を代表する日立ブランドを背負ってきた中西氏と比べて十倉氏の知名度は低く、経済界でも面識がないという人も多い。経団連の地盤低下が指摘されて久しいが、独自の人脈で経済人と面会する菅義偉首相の下、存在感はますます希薄になりつつある。経団連会長としての人脈づくりと経団連の復権という2つの課題をスタートダッシュで取り組む必要がある。

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