2021-05-27

【特別寄稿:倉本聰】「そしてコージは死んだ」

倉本聰



 何もすることのできない僕は、彼に長文の手紙を書いた。永いつき合いのこと、愉しかった想い出、そして感謝。最後に俺は今君の苦痛が一刻も早く去ることだけを祈っていると書いた。書きつつ今自分はまだ生きている本人に向かって弔辞を書いているという錯覚に陥った。

 つきそいから翌朝電話があり、読み始めてコージはもう1枚目で泣き出して後が読めなかったという。そして最後の一行を読み終えると、〝先生は俺の気持ちを判ってくれてる〟と呟いたそうだ。

 そのスタッフからいきなり電話で叩き起こされたのは17日の午前1時である。コージが苦しんで先生の名前を必死に呼んでるから、すぐ来て下さい!  ということだった。夜勤の看護師さんには内緒で話を通してあります!

 かけつけた時、コージはベッドの上で、半分のたうちまわっていた。酸素吸入のマスクと鼻からの管は入っていたが、いくら吸っても酸素が体内に入っていかないようだった。一息々々を全力で吸おうとして、声にならない声をあげていた。手を握ってやると握り返そうとしたが、その手に力はもう残っていなかった。労働で鍛え上げたコージの荒れた手を、僕は必死にさするだけだった。僕に向かって何か訴えるコージの声はもう声にならず、只胸を精いっぱい上下して空気を吸おうとする空しく荒い呼吸音だけが病室の空気を震わせていた。

 血中酸素濃度は何と、40まで下がっていた!

 楽にできませんか!  何とか楽にしてやって下さい!

 看護師さんに懇願したが、看護師さんはさっきから既に枕元の機械のダイヤルをいじっていた。いじってはいたがコージの様態に変化はでなかった。夜勤の若い看護師さんには、それ以上の麻薬の増量にふみこむ資格はないにちがいない。彼女たちには恐らくそれ以上の医療判断は許されていないのだ。僕は彼女たちに頼むことを諦め、コージの荒れた手を必死にさすりながら、空しい嘘を叫ぶしかなかった。

 もう少しだ!  もう少しがんばれ!  もうじきすぐに楽になる!

 コージは虚ろな目で天井を睨み、口に装填されたマスクをひっぺがし、荒い息を吸い、すぐ又口につけた。その動作を何度もくり返した。

 こんなむごいことがあっていいのだろうか!  鼻につき上げる涙をおさえながら心の中で僕は思っていた。

 胃カメラを飲むという検査の時ですら、今病院では点滴によって意識のレベルを下げてくれ、全く苦痛なく挿管してくれる。今の医学はそこまでできる。できる筈なのに死を前にして彼はここまでのたうちまわっている。彼の意識はしっかり生きている。生きて苦痛の極限にいる。医学は人命を救うことを究極の目的としているというが、今目の前にくり拡げられていることは、人道的と果たして言えるのだろうか。楽にできるのにしてやらないこと。これは拷問であり、明らかに非人道的行為である。こんなむごいことが許されていいのだろうか!

 2時間程、彼の手をさすり続け、荒い呼吸音が少しおさまったのを見て、僕はもう居たたまれず病室を後にした。

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