2021-05-16

【母の教え】木村皓一・ミキハウスグループ社長

木村 皓一氏




男子寮の食事係を引き受けてくれた



 母は102歳まで長生きしました。父は55歳で若くして亡くなったので、残りの50年くらいはずっと一人でした。だから、母はさみしかったでしょうね。

 でも、当社には男子寮があり、母は90代の後半まで一人で社員たちの食事の世話をしていました。朝と昼は自宅で済まして、夜は若い子と一緒に食べて、おしゃべりして帰ってくる。一人でいるより楽しかっただろうし、父のいないさみしさをそれで紛らわせていたのかもしれません。

 母はわたしの家の向かいに一人で住んでいて、男子寮からは1キロくらい離れている。だから毎日、寮まで一人で歩いていって、料理をつくって自宅に戻って、また洗い物をしに寮に戻っていく。それを繰り返して1日3往復していました。

 母は大学を卒業するまで名古屋に住んでいたので、言葉は名古屋弁。われわれのように関西弁は全然つかいません。寮にいる時には名古屋弁で普通に会話していましたし、英語ができる人には昔を思い出して英語で会話していました。

 やはり、いくら歳をとっても女なんでしょうね。若い男性が住んでいるから、毎日、お化粧をして寮に出かけていくのを楽しんでいました。寮には10人ぐらい住んでいるのですが、10人分の食事を毎日つくるのですから、それなりに大変だったはずです。それでも若い子たちと会話できるのが楽しいのか、大変そうな素振りは見せませんでした。

 母は好き嫌いのはっきりした性格でしたが、よく人柄を観察し、個人個人のいいところを見てあげていました。人間誰しも100%いい人などいません。ですから、その人のいいところをちゃんと拾い上げたらいいわけで、悪い部分とは付き合わなければいい。自分とは合わないと思ったら、母ははっきり区別する。そんな性格でしたし、その性格はわたしにも確実に受け継がれています。

 わたしが話を聞くと、よく母は「あの子はちゃんと礼儀正しいし、ええねん」とか、「あの子は勝手に冷蔵庫の卵を食べたりするからあかん」とか言っていました。お気に入りの社員には余分に食べ物を置いておくとか、贔屓していましたね。

 でも、たまに母がさみしそうにしている時もある。どうしたのか聞いてみると、社員が結婚して寮を出ていくというので、そういう時は結婚してくれた嬉しさと個人的なさみしさが入り混じった複雑な表情でした。

 それでもたまに寮を出ていった社員から「おばあちゃん、あの時はありがとう。元気してるの?」なんて手紙をもらったりすると、嬉しそうにわたしに話をしてきて、熱心に返事を書いたりしていました。

 おそらくこれが母なりの健康法であり、生き甲斐だったのだと思います。多分、女子寮だったら母は長続きしなかったでしょう。好き嫌いがはっきりしている性格ですから、女子寮だったらトラブルばかりでストレスを抱えていたと思います(笑)。

 様々なことがあったり、起きたりする中で人生を楽しむ。最期まで母は母なりに人生を楽しんでいました。そんな母には感謝しかありません。この場を借りて、「ありがとう」と言いたいと思います。

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