2021-05-03

ミキハウスグループ代表・木村 皓一の「世界の子供に笑顔と安心を!」(第8回)



父と意見が対立



 そうした時代の変化を見て、木村は父に意見した。

「えらい剣幕で、父には怒られたけど、日本でそんな商売は長続きできんと。そやけど、仕事の現場にいてたら、時代の流れや変化が分からんのです」

 雇用のあり方も変革期を迎えていたということ。もっとも、父は従業員を採用した後、本人の希望を受け入れて、夜間高校や通信教育が受けられるように配慮していた。

「みんな生活に困って、中学を出て、働きに来た人たち。就職する時の条件は、夜間高校に行かせてくださいね、夜間の短大くらいまでは出してくださいと。だから、父も本人が希望するなら、夜間高校や夜間の短大に通わせたりして、卒業証書をもらえるようにしてやっていた。でも、そんなのいつまでも続くわけないもの」

 父の婦人服事業はこの頃までは業績も良かったが、1年後にこの世を去った。享年56。

「親父は体を悪くして、会社を友人に譲った。やっぱり、世の中の流れが親父も分かったと思うんです」と木村は述懐する。

 父に強く意見した時、木村本人は世の流れをどう見ていたのか?

「まず中卒の人たちがおれへんようになった。縫製する人も老齢化してきた。老齢化するということは、給料が高くなってきた。ブラウス1枚で2円から3円儲けるような仕事が儲からんようになってきた。親父、言うてる通りやろということです」

 経済の仕組み、企業経営のあり方も時代の流れ、環境変化と共に変わっていく。父の経営とその環境変化を冷静に見ていた木村は「自分は自分の手で父とは全く違う経営をやってみたい」という気持ちを強めていった。

 こうして1971年(昭和46年)、木村は26歳で起業。三起商行を立ち上げた。たった一人での出発であった。

(「財界」5月12日号より 敬称略)

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