2021-04-25

【倉本聰:富良野風話】老衰

盟友・田中邦衛が死んだ。88歳。死因は老衰とあった。同じ年頃の友人が、老衰かァ、と呟いた。我々の齢で眠るように死ぬと、老衰ということになるのだなァという。ある種、感慨から来る吐息だったのだろう。

 だが、僕は、死因・老衰という表記に、逆にホッとして、良かった! と思った。何か、天寿を全うして苦しまず、静かにあの世に旅立てたのだという、そういうニュアンスを感じたからである。

 今年は周辺で次々に人が死ぬ。

 邦さんの死ぬ1週間前に、頼りにしていたスタッフが死んだ。こっちはまだ62歳。3年前から肺癌を患い、最後はそれが骨に転移して、苦しみ抜いた揚句の死だった。最後まで病院に入るのを拒み、自分で建てたDIYの家で訪問医の治療を受けながら歯を喰いしばって病と闘ったが、血液中の酸素濃度が60を切り、遂にその苦痛に耐え切れず、去年の暮れに自殺をはかった。大工道具で頸動脈を2カ所切ったが死にきれず、電動ドリルで自分の心臓に孔をあけようとしたがそれも果たせず、別のスタッフに発見されて救急搬送されて猶3カ月生きた。

 何とかもう楽にさせてやれないかと旭川の病院の医師に頼んでみたが、内科と外科の医師は、まだ望みを捨ててしまってはいけない。いつ新薬が発明されるかもしれないのだからと言い、親しい札幌の緩和治療の麻酔科の医師に電話して事情を話したら、まだ内科ではそんなことを言ってるンですかと、弟子筋を通して直ちにモルヒネによる緩和治療に切り換えてくれたのだが。3月、酸素濃度が40まで下がり、自ら救急車を呼んで急遽入院した。

 富良野で最も大きい総合病院は旭川の医大の傘下にあり、医師は医大から派遣されていて、彼の場合のような重症患者の治療には旭川からの指示を仰ぐ。

 その深夜、つき添いからの急電に起こされ、コロナで面会を禁止された病院に強引にもぐりこむと、ベッドの上で彼は息ができず、殆んどのたうち廻っていた。夜勤でいるのは若い看護師さんが2人。楽にしてやって! と懇願しても麻酔のスイッチをいじりはするものの、それ以上の断は彼女たちにはできない。彼の手を握りさすってやりながら、もう少しがんばれ! もう少しがんばれ! と空しく呼ぶしかできることはなく、その午後やっと息を引きとった。

 医学の世界はおかしいと思う。

 胃カメラを飲むのにも僕らは麻酔を使ってもらう。すると意識が飛び、知らぬ間に検査は終わっている。そんな技術があるというのに、どうして医師は瀕死の患者を楽にしてやろうとしないのだろう。人命は何より尊いというが、あの苦しみから解放せずに放置して見ているという医学のあり方は、非人道的行為の極みではあるまいか。それから半月もせず、同業・橋田壽賀子さんが亡くなった。彼女は
安楽死の権利を最後まで訴え続けていた。

Pick up注目の記事

Related関連記事

Ranking人気記事