2021-04-05

三井不動産・岩沙弘道会長「在宅勤務かオフィスかの二者択一ではなく、 いかに融合させるか。その知恵が問われている」

岩沙弘道・三井不動産会長

「リアルとネットは『or』ではなく『&』で、いかに融合させるかが大事」と話す。コロナ禍で社会のデジタル化が加速しているが、不動産も例外ではない。そこにリアルの良さも融合させていくという考え方。さらに長期にわたって取り組む、東京・日本橋再開発も第3ステージに入った。今後、どのような考え方で進めていくのか─。

コロナ禍で得た「気づき」


 ─ コロナ禍の発生から1年以上経ちますが、どういう思い、気付きがありましたか。

 岩沙 当時は1年が経っても、このような状況が継続するとは思っていませんでした。最初の緊急事態宣言が解除された後、2020年9月頃から年末にかけては、ある程度状況も落ち着くかなと期待をしていたのです。政府も「Go Toキャンペーン」など消費関係の刺激策を打ち出し、当社の商業施設「ららぽーと」や「三井アウトレットパーク」なども、かなり元気を取り戻していました。

 しかし、第3波が来て、さらには変異型ウイルスの発生など、コロナの脅威が増した形になり、政府も危機感を持って再び緊急事態宣言を発令したわけです。

 日本は欧米に比べれば桁違いに感染者数、重症者、死者の数が少ないわけですが、パンデミックへの対応に課題があることも見えてきました。

 ただ、いよいよワクチンの接種が始まりました。今後どういうスピード感で進むかはこれからですが、社会全体として一つの安心感を持つことができる状況になってくるのではないかと感じています。

 ─ コロナ禍によって我々の生き方、働き方は大きく変わりました。

 岩沙 はい。コロナによって社会が大きく変革しようとしています。明らかになったのは、世界で第4次産業革命が進む中、日本はIoT(モノのインターネット)、AI(人工知能)、ロボットといった先端技術や知見を取り入れきれていなかったという課題に、コロナを契機として気づき、社会の変革のスピードが加速されました。

 コロナはピンチですが、日本の今後の発展にとっては、社会のあり方、個人や企業の活動も含め、新しい時代に向けた取り組み、デジタルトランスフォーメーション(DX)でスマート社会に変えていかなければならないという危機感を、国を挙げて共有できたことは大きいと思います。

 ─ 菅政権も「グリーン社会」、「デジタル化」をキーワードに据え、その実現を日本の成長の原動力にしようと動いています。

 岩沙 「デジタル庁」の設置など社会のあらゆる分野をスマート化するという、非常にいい政策を打ち出されたと思います。

 また、これまでは欧米を中心に新自由主義が強まり過ぎていましたが、SDGs(持続可能な開発目標)のように、地球、世界共有の課題解決をしていかないと、地球自体が持たないという認識が広がっています。

 日本も率先して、この考え方をベースに世界の平和、経済発展、社会の安定を担うべく行動をしていく必要があります。

 その意味で多くの企業が、大きな変革期にあることを自覚していると思います。これまで企業の内部留保が貯まり過ぎているという問題が指摘されたり、個人の金融資産の多くが預貯金に置かれているという課題がありましたが、今後は成長分野に生かされていくと思います。

 ─ 米国でバイデン政権が誕生しましたが、どう見ますか。

 岩沙 世界で社会主義市場経済、覇権主義が台頭する中、米国でバイデン政権が誕生したことは、我々も属する自由主義陣営にとってよかったと思います。

 米国の「ビジネスラウンドテーブル」は一昨年くらいから、我々と同じような感覚、新自由主義ではなく、全てのステークホルダーに貢献できる企業でなくてはならないという考えを持ち始めています。経団連は「サステナブルキャピタリズム」と言い始めていますが、世界を長期的、安定的、かつ平和に持っていくためにどうしたらいいかがテーマになってきます。

日本橋再開発にどう取り組む?


 ─ 今後、どういう考え方で街づくりに臨みますか。

 岩沙 街には歴史や文化、個性など様々な要素があります。それぞれの地域の魅力と強み、価値をしっかり捉える必要があります。

 我々が開発に携わる日本橋を例に取ると、ここは江戸幕府の街づくりの始まりの場所です。そして幕府が安定してからは、江戸で最も賑わいのある街であり、五街道の起点であり、あらゆる物資や情報が行き交う場所でした。それに伴って、日本中から多様な人材が集まってきました。その意味で日本橋は、日本の都市の一つの典型的なモデルだと思います。

 ただ、この街は戦後、特にバブル経済が崩壊してから人口の流出が続くなど、元気がなくなっていきました。日本橋には江戸三大呉服店の一つであり、百貨店の先駆的存在だった白木屋がありましたが、1999年にはその後に建った東急百貨店が閉店することになりました。金融危機と相まって、このままでは日本橋の活力が失われてしまうという危機感がありました。

 ─ そうして、日本橋再開発に乗り出したと。

 岩沙 日本橋には多くの老舗がありますが、この旦那衆の皆さんと危機意識を共有して、21世紀には往年の街を取り戻そうという機運が盛り上がり「日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会」ができたんです。

 この委員会で、地元の町会、商店会、老舗、行政、我々のような企業が一体となって、この街を往年以上の輝ける街に変えることができるかを考えてきました。そこで侃々諤々議論してできたのが「残しながら、蘇らせながら、創っていく」というコンセプトです。

 これによって100年という長期的な視点で取り組まなければならないという意識が共有されました。この街には江戸開闢以来の老舗もありますし、我々三井グループも元禄時代の前からの歴史があります。

 先達が時代の大きな変化を乗り越え、時代に合わせて自己変革をしてきたから今日があります。我々も今、同じような状況に置かれており、次は我々が乗り越える番です。

 ─ 日本橋再開発では、三井不動産が白木屋の跡地に「コレド日本橋」を開発しましたね。

 岩沙 はい。2004年に「コレド日本橋」、2005年には「日本橋三井タワー」、2010年の「コレド室町」の開発までが第1ステージでした。

 2014年からは第2ステージに入り、「コレド室町2、3」を開発、さらには地域の鎮守である「福徳神社」を再生、鎮守の森である「福徳の森」をつくりました。この場所は地域の精神的支えであり、共生の場となっています。

 第2ステージのキーワードは「産業創造」、「界隈創生」、「地域共生」、「水都再生」の4つでした。中でも「産業創造」は、江戸時代から日本橋がなぜ発展してきたかというと、産業創造をしてきたからだと。

 そこで、思い起こしたのが日本橋周辺に集積する製薬企業です。この集積を生かして日本の「ライフサイエンス」の拠点にし、ここから新産業を生み出していこうと考えました。その受け皿として16年に設立したのが、「ライフサイエンス・イノベーション・ネットワーク・ジャパン(LINK―J)」です。

 今、約500の企業、研究機関、大学などの拠点となっており、多様な交流、切磋琢磨する場となっており、ベンチャー企業も集まってきています。

 ─ 一方、日本橋の魅力は街の「裏通り」にもありますね。

 岩沙 そこで取り組んだのが「界隈創生」です。安心・安全に裏通りを楽しむことができ、来街者や周辺に勤めている方々がアフターファイブを含めて楽しむことができるような空間にしていく。路地裏の魅力を活かしていくのが界隈創生です。

 ─ 「水都再生」では日本橋の上を通る高速道路の地下化も進んでいます。

 岩沙 そうです。全体コンセプトの「残しながら」に関連しますが、「日本橋」自体が重要文化財であり、街の象徴です。

 そこで、日本橋の空を蘇らせることが必要だと。今は高速道路で蓋をされているために、日本橋川は清流ではなくなっています。それを取り戻さなければなりません。そこで20年前高速道路を撤去するか、地下化するかという運動が始まりました。

 地元の皆さまと共に、粘り強く各方面に働きかけを続け、2020年には正式に地下化が決まりました。しかし、地下化をしても、その後の街に魅力がなかったら何にもなりません。そこで中央通りを背骨として、その両側を様々な形で魅力ある街にしていこうと。

 また、日本橋川は江戸時代から舟運の起点でしたから、川沿いの魅力、楽しみも取り戻さなければなりません。そこで先々は江戸時代からの船着場を活用し、観光や日々の通勤にも活用できる舟運を蘇らせようと考えています。

「地域共生」では日本橋らしい「粋」をベースにした助け合いと共助を大切にしています。そして他の地域から訪れる方々も違和感なく溶け込むことができる、温かく、親しみの持てる街にしていこうと。

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