2021-04-03

【倉本聰:富良野風話】普通のやり方

神奈川県知事が小池百合子・東京都知事とトラぶったらしい。A案に反対だった神奈川さんが、千葉県さんも埼玉県さんも賛成しているからと説得されて渋々承諾したが、後で千葉さんと埼玉さんに問い合わせたら、いや神奈川さんが賛成していると東京さんが言ったから賛成側にまわったんだ。びっくりした神奈川さんが東京さんを問いつめたら、アラごめんなさい。私先走りすぎたかしら。でもこういうの〝普通のやり方よ〟。

 さて、この〝普通のやり方〟という言葉がひどく心にひっかかった。学校教育ではこういう手法を〝普通のやり方〟とは教えないだろう。お父さん、こういうやり方を政治の世界では〝普通のやり方〟って言うの? 子供に問われたら親は困るだろう。

 同様のことがあちこちで見られる。

 今かしましい接待問題。
 これも子供には説明しにくい。

 こんな問題で国の代表が何日も大真面目に議論をつづけ、我々からむしりとった血税を浪費して責任をとらされたり、更迭されたり。これもまた当事者の子供たちから、父さんのお給料はどうして下がったの? とか、接待されるのはいけないことなの? とか、お父さんは接待されることないの? とか、つぶらな瞳で真剣に聞かれたら、どんな返事をみんな返すのだろう。

 特殊社会での〝普通〟というものは、他の社会では中々通じにくい。僕の僅かなサラリーマン経験から考えた時、社会の〝普通〟に染まっていくのは一体どんな過程からだったのだろう。

 新入社員の頃、直属の先輩から仕事が終わった後、一寸飲んでくかと誘われることはよくあった。殆んど先輩がおごってくれた。先輩だってそんなに高給とりじゃない筈なのに申し訳ないなと恐縮していたが、ある日処理させられていた伝票の中に、明らかに僕がおごってもらった何回かの飲食費が紛れ込ませてあり、そこに名目として「新企画打合せ」とか「スポンサー接待」とか書かれているのを見てハハンと感じ入り、成程これが社会における「普通のやり方」なのだなと勉強した。

 そのうち少し出世して自分でもいくつかの番組を持たされて自由にできる金が少しできると、学生時代の友達とか芝居仲間とかと飲むのに使い、「代理店打合せ」とか「作家打合せ」とか適当な名目を伝票に記した。上司には多分見え見えだったと思うが、金額は僅かだし、上司も同じことをやっているから文句の出ることは全くなかった。思えばあれが僕の場合の「普通のやり方」への汚染の一歩であり、あのまま会社を辞めていなかったら、知らないうちに次第に麻痺して変てこな道へと歩んでいたかもしれない。子供に聞かれれば困るようなことをし、でもそれが普通のやり方なのだよと公言できるような、おかしな人間になっていたかもしれない。そうなっていない自分をまだ保てていることが一寸うれしい。

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