2021-03-23

ミキハウスグループ代表・木村 皓一の「世界の子供に笑顔と安心を!」(第5回)

木村氏が中学生の頃

右足を鍛えるために新聞配達を!


 大阪市立高津中学校へ進むと、木村は新聞配達を始めた。

 上本町(天王寺区)の家から通える産経新聞の販売店に早朝、雨の日も風の日も毎日通った。

 中学進学後も歩行には障害が残っていたが、新聞配達で右足を鍛えようと木村は考えた。

「起きるのは早朝3時です。家から近いところに新聞販売店はあるんですが30分はかかる。近いけどケンケン足やからね。配達し終わって、家に帰って、制服に着替えて、また学校まで行かなあかん」

 中学に入ってからは、車椅子は使わず、とにかく自分の足を使おうと頑張った。

「車椅子は乗れへん。もう意地でも乗らへん。引きずってでも、足を使わなきゃ」という心境。

 家から学校までの距離は約1㌔。木村の足で1時間かかった。

「新聞配達が終わって、家に戻り、それから学校へ向かうから、いつも遅刻。自分としては、遅刻しようが、まず普通の人並みに成りたい。その一心でした」

 大阪市立高津中学校からは近くの名門・天王寺高校(大阪府立)などの進学校へ進む生徒が多かった。一クラス約50人のうち、35人位は区域外から通う生徒たちで、いわゆる越境組の多い中学校だった。

 その高津中学校へ通っていて、木村は新聞配達があり、いつも遅刻ぎみ。担任の先生が、「木村は遅刻が多いな」と級友にこぼすほどだった。

 しかし、木村の方は、「とにかく自分の足で歩きたい」という目標があるし、日々、その目標に向かって進むんだという気持ち。だから担任にも、新聞配達をやっていることを告げていなかった。

「僕は信念をもってやっていますからね。なんぼね、先生がどうこう言ったって、仕様がないんです。朝3時に起きて、一生懸命に新聞配達と、自分のやれる事をやる。家に帰ってすぐに着替えて、それでも遅刻。それはもう仕様がないと思っていました」

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